2020年7月に放映された『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』の人気コーナー「日本列島 ダーツの旅」で、地方在住の元番組スタッフがロケを担当した。それが、2016年に北海道の津別町に移住し「道東テレビ」を立ち上げた立川彰さんだ。
まだ価値が認識されていなかった「映像」
北海道の東半分を占める「道東」エリアには、独立した映像メディアがある。その名も「道東テレビ」。拠点である津別町周辺のニュースから自主制作番組まで、多種多様な映像を配信している。行政から受託して制作したタウンプロモーション番組は最大で約3万回再生され、北海道の内外から注目される存在だ。
その道東テレビを立ち上げたのが、千葉県船橋市から北海道の津別町に移住した立川彰さん。立川さんは取材を通じて道東で生きる人と関係を築きながら、ローカルメディアが担う「発信」以上の役割を模索してきた。
立川さんが映像制作に飛び込んだのは、テレビ番組『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』のアシスタントディレクター(AD)から。ほとんど未経験のままADとして奮闘する日々を送った。
「30分のオンエアのために、カメラを1,000時間回し続ける日々で。その積み重ねがカメラと接している時間の長さになり、映像への自信につながりました。特に看板企画『日本列島 ダーツの旅』では、企画立案から取材の交渉、スケジュール管理まで、ひとりで完パケする(収録した映像を放送できる状態にする)ために必要なあらゆる経験をさせてもらいましたね」(立川さん)
ADを3年続けた後、立川さんは個人事業主として独立した。理由は、「映像制作はあらゆるビジネスの基本になる」と考えたから。とはいえテレビを除けば、映像制作の仕事にそれほどビジネスチャンスがあるとは言い難かった時代だ。
「独立したばかりの頃は、YouTubeが海賊版のような扱いをされていて。企業がYouTubeで発信するなんて、ありえない時代でした。だから当時の映像制作といえば、アダルト系が一般的だったんです。そうじゃないと、食べられなかったから。残念ながら、そういう仕事は来ませんでした」(立川さん)
しばらくアルバイトと並行し、ようやく映像制作のみで食べていけるようになったのは、2年後のことだった。
その後立川さんは、2012年に株式会社キロックムービーを立ち上げる。拠点の千葉県船橋市で、市役所の観光PRドラマや百貨店の催事プロモーション、ケーブルテレビ局の番組制作などの仕事を受託していった。立川さんはどのようにして船橋で映像の仕事をつくっていったのだろうか。
「何よりも『ギブ』ですね。映像だと形ある商品を事前に見せられないので、クライアントにとっては完成形がわからない。しかも当時は、YouTube番組1本でいくら、といったギャラの物差しもありません。だからまずは形にしてみて、相手が価値を感じてくれたら初めて対価をいただいていました」(立川さん)
たとえばケーブルテレビ局の仕事は、地域で開催されるイベントの映像を制作したことがきっかけで、受注が決まった。
「船橋で仲間と『ふなばしハワイアンフェスティバル』というイベントを立ち上げて、毎年ボランティアで運営に関わってきました。その一環として、イベントの様子を伝える映像をつくったんです。あるときイベントの取材に来ていたケーブルテレビの方にその映像を見せたら、一緒に仕事をしないかと声をかけてもらいました」(立川さん)
さらに立川さんは次の仕事につなげるために、映像の価値を高めるだけでなく映像以外の部分でも「おまけ」をつけた。
「仕事を受ける上で、どれだけ目の前の人に喜んでもらえるかを常に考えていました。たとえば発注していただいた映像をDVDに入れ、デザインしたパッケージでプレゼントする。対価をもらう価値のある仕事をするんだ、という覚悟を込めていました」(立川さん)
取材を通じて仲間を増やし、町で関係を築いていく
着実に仕事を増やした立川さんは、法人化から2年で年間売上1,000万円を達成。メンバーを増やして仕事を振り分ける一方で、完全受託体制の限界も感じ始めていた。
「クライアントから直接受託した仕事、もしくは下請けのみだと、単発案件が多くて不安定だったんですよ。もっと源流に行きたい、つまり自分が発信者になりたいと考えていました」(立川さん)
次の一手を考え始めた立川さんのもとに、2015年、ある町のタウンプロモーションの仕事が舞い込む。道東エリアに位置する津別町だ。
「話を受けたときは、道東に人が住んでいるイメージすらなくて……(笑)。でも実際は、北海道にある179市町村のうち50を道東が占めていて、100万人弱が住んでいる。それなのに番組を制作できるテレビの支局がないし、ケーブルテレビも映像制作会社もほとんどない。このブルーオーシャンで、映像の発信者になれるんじゃないか、と思いました」(立川さん)
役場の担当者に言われた「こっちで仕事をつくりませんか」という一言をきっかけに、立川さんは船橋に会社を残したまま、生まれたばかりの子どもを含む家族とともに津別町に引っ越しを決めた。職業は「地域おこし協力隊員」だ。
「この町で映像がどのように役に立てるのかをプレゼンした上で、協力隊に採用してもらいました。協力隊なら3年間給与をいただけるので、津別町で仕事をつくる期間にしたんです。その対価を町に還元するために、移住してすぐに道東テレビを立ち上げました」(立川さん)
立川さんは津別町でも「ギブ」から始めた。活動を始めるときに協力隊の活動として約束したのは、月に1本の映像制作。しかし実際には3日に1本のペースで制作し、町役場から信頼を得ていった。
さらに町中でも立川さんの理解者を増やしたのが、取材だった。取材に行けば行くほど、町の人に顔を覚えてもらえる。取材を通じて津別町内での関係を増やしていったのだ。
そのなかで動き出したのが、立川さんが津別町出身の3人の仲間とともに制作している番組『つべらない話』だ。津別町の最新ニュースやゲストとのトークを、毎月1回生放送している。立川さんが協力隊員として着任した直後にスタートし、2020年9月には放送回数が50回に到達した。毎回、FacebookとYouTubeの2媒体で配信し、50回記念放送は合計3,000回以上再生されている。
「みんなで毎回集まり、番組制作を通じてコミュニケーションできる。『つべらない話』が、僕に仲間をくれました。番組づくりは仲間づくり。ローカルメディアは、町の人と関わりをつくる上で有効なプラットフォームだと思うようになりました」(立川さん)
そうして積み重ねてきた映像制作が目に見える結果につながったのは、道東テレビを立ち上げた2年後のこと。立川さんが制作した津別町のプロモーション映像『タウンニュースつべつ#8 津別町の医療最前線!!後編』が、「北海道映像コンテスト2018」で最優秀賞に選ばれたのだ。これを機に、町役場からの業務委託制作費がアップ。立川さんがギブを続けた先に結びついた成果だった。
2019年には津別町内で、コワーキングスペース「JIMBA」の運営を始めた。人が集まるところに情報が集まり、メディアと場との相乗効果が生まれている。
「映像はこんな価値を発揮できる、とプレゼンしても、実際メディアを始めてみなければ、町にどんな影響があるのか分かりませんでした。でも今は、町の発信と記録だけでなく、町の人たちの地元愛を高めることにつながっていると思えます。メディアを軸に自分が町に何をギブできるのか、模索しながら1段ずつのぼってきました」(立川さん)
価値が移りゆく時代に、仕事の価値をどう高めるか
道東テレビの収入の半分は、津別町や隣の弟子屈町をはじめ、行政から受託するタウンプロモーションの映像制作。もう半分は、単発の映像制作や生配信の技術サポート、コワーキングスペースをはじめとした自社事業が占める。
2019年には、社員を1人採用した。さらに2020年9月、UHB北海道文化放送のアナウンサーが道東テレビへのジョインを発表。大手テレビ局からローカルメディアへの移籍が話題になった。
《ご報告》
UHBアナウンサーを9月一杯で卒業し
10月からは弟子屈町で『#地域おこし協力隊』として活動していきます。全力で駆け抜けた2年半。
新天地でも明るく元気に頑張ります。この決断に至る経緯などは以下にまとめました。https://t.co/31ohZNG7DP#弟子屈町 #道東テレビ#dotdotoを読んで
— 川上椋輔(アナウンサー辞めて地域おこし協力隊へ)@川上郡弟子屈町 (@kawakami_doto) September 22, 2020
着実に実績を積み重ねた今でこそ、雇用が可能なほど売上が立つ道東テレビだが、単体で収益化するまでに丸4年かかった。その間の資金繰りを支えてきたのが、船橋に残してきたキロックムービーだ。
立川さんは船橋にいるメンバーから、すぐにマネタイズできない道東テレビの取り組みについて、幾度となく「なんでお金にならないことをやるんだ」と言われてきた。
「僕は明確な答えを持っていなかったんですよね。好きだから、わくわくするから、くらいで。しかも社内に売上を公開していて、僕の売上が全然ないことをメンバーが知っていたので、『お金を稼げないのに新しい取り組みをするのは悪』という雰囲気を感じていました」(立川さん)
しかし2020年、「新しいことに挑戦する価値」が突如として浮き彫りになる。新型コロナウイルスの感染拡大だ。
地域に根付く道東テレビの仕事量は、ほとんど影響がなかった。しかしキロックムービーの仕事は、95%が一気に消えた。立川さんはキロックムービーに根付いた「新しいことは悪」という物差しでは会社として生き残れないと判断し、メンバーにフリーランスとして独立してもらった。
「新しいことに挑戦しないと社会構造が変わったときに生き残れないんだな、と実感しました。お金にならなくても投資することが、経営者の仕事なんですよね」(立川さん)
立川さんはこれまで、終身雇用や社会保険、同業の仲間がいるメリットがあれば、クリエイターは組織に所属したいのではないかと考えていた。
「でもこれからは、クリエイターが組織を選ぶ時代。雇用条件よりも、仕事の源流を生み出せる自社メディアを持っていたほうが、よりモチベーションの高い仲間を集められるんじゃないでしょうか」(立川さん)
2020年6月、道外から道東テレビに、1つのオファーが届く。オファーを出したのは、『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』。立川さんの古巣である人気コーナー『日本列島 ダーツの旅』の映像を制作してほしいという依頼だった。
新型コロナウイルスによってロケがしにくくなった状況下で、地方に在住している番組OBであり、完パケできる立川さんに白羽の矢が立った。2020/7/22放送。
「東京のテレビ局には人材も技術も集まっているので、僕のようなローカルメディアがテレビに進出するのはまだ難しいと思っていました。でも、実際にオファーが来た。番組のコンセプトに助けられていますが、東京からスタッフが来なくても地方で番組を成立させられる存在って珍しいんだなと実感しました」(立川さん)
日本ではあまり耳慣れないが、立川さんのように1人で完パケできる職業を「ビデオグラファー」という。立川さんはローカルを拠点にするビデオグラファーの仲間を増やして、その仕事を広めていきたいと考えている。
地域の人とともに、地域の映像メディアを育てる
2016年に道東テレビを立ち上げてから、丸4年が経った。立川さんは今、設立当初は見えていなかったローカルでの映像メディアの役割を確信しつつある。町の情報を発信・記録するだけでなく、町の人にも情報発信に参加してもらい、メディアを一緒につくっていくことだ。
「たとえば津別町では、既存のメディアで高校野球が取り上げられていません。中継したいけれど、お金にならない。でも接する機会が少なければ、野球に憧れる子どもが減ってしまいます。それなら仮に月額1,000円で広くお金を集めて、メディアを一緒につくってもらえたら、道東テレビが中継する方法も実現できると思うんですよ」(立川さん)
自社メディアを軸に、発信以外の仕事を広げてきた立川さん。発信と記録、そして共創へ。道東テレビはこれからも役割を変え、新しい事業を増やしながら、自分たちが生きる町に伴走していく。