神奈川県の南西部に位置し、昔ながらの情緒や人付き合いが残る半島、真鶴。2015年に移住してきた川口瞬さんと來住友美さんが立ち上げた「真鶴出版」は、出版社と宿が一緒になったスタイルで、内外の人たちに真鶴の魅力を伝えている。
地方で自分の仕事をつくりたい
「真鶴出版」は、2015年の春に真鶴に移住をした川口瞬さんと來住友美さんが立ち上げた出版社。築50年の古民家で、川口さんが出版活動をし、並行して來住さんが宿を運営しているという、いわば“泊まれる出版社”だ。
真鶴は、神奈川県の南西部、小田原と熱海の間にある半島に位置する。この人口およそ7500人の小さなまちに引っ越してくる以前、川口さんは東京のIT企業に勤め、來住さんは青年海外協力隊としてタイで活動をしていた。
大学時代、川口さんはSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSという書店でインターンをし、雑誌の編集や営業など出版業務をひととおり経験した。既に内定が決まっていたIT企業に就職してからは、仕事のかたわら大学の仲間とインディペンデントマガジン『WYP』を創刊。Vol.0『働きながらインドを探る』のインド取材では、普通の旅行では会えないような人たちに会い、刺激を受けた。Vol.0.5 『働きながら日本を探る』では、写真家、社会事業家、ガラス造形作家など、サラリーマンとは異なる働き方をしている20代にインタビューをした。
「取材をした人たちはみな僕よりもリスクをとって生きているけど、それが普通という感じで。僕は小中高、大学を出て、会社に入るというレールに乗っているつもりだったけれど、レールなんてなかった。もっといろんな選択肢があるのだと気づきました。会社に不満はなかったけど、何かをしたいとモヤモヤしていました」(川口さん)
川口さんの中に、自分で仕事を作りたい、出版業をしたいという思いが芽生えてはじめていた。そんなとき、大学時代から交際しておりタイで活動をしていた來住さんが、フィリピンでゲストハウスの運営を手伝うことに。これをきっかけに川口さんは退職し、フィリピンへ英語留学をすることを決めた。
「それでフィリピンに行ったんですけれど、日本に戻って自分の仕事を始める場所を考えたとき、これからは東京よりも地方の方が面白いんじゃないかと漠然と思っていました」(川口さん)
一方來住さんも、日本に住むなら地方がよいと考えていた。
「人をゆっくりと受け入れるゲストハウスを作りたかったので、都会や観光地じゃなくて、地方の方が合っていると思いました」(來住さん)
そんな折、友人である写真家のMOTOKOさんに、真鶴をすすめられた。ちょうど役場がお試し暮らし「くらしかる真鶴」のモニタリングを募集していたので、その枠で2週間住んでみて、ご縁を感じ移住を決めたという。
外へ向かう、内へ向かう、地域の出版物
真鶴に移り住んでから、川口さんはまず『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』を制作した。A3用紙を折りたたんだ形の町歩きマップで、真鶴に来たらぜひ訪れてほしい寿司屋やひもの屋を掲載。500部刷り、下北沢の「本屋B&B」や鎌倉の「Books moblo」など、首都圏の独立系書店10店舗ほどで販売した。
東京への営業は、川口さんがリュックに見本誌をつめて書店を回った。刷り上がった出版物は倉庫に保管し、注文を受けてから自分たちで発送作業をしている。
『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』は、真鶴の店にも置かれ、地元への挨拶代わりにもなった。また、「くらしかる真鶴」のときから親しくしている役場の人が、これをみて移住促進のためのパンフレット制作を発注してくれた。真鶴出版2つ目の出版物『小さな町で、仕事をつくる』では、自分たちの移住にまつわるストーリーや、真鶴に暮らす人々のことを丁寧に紹介している。
これらの冊子を作る過程で、日を追うごとにまちの人たちの顔が見えてきた。同じ半島に住んでいる者同士、島のような連帯感がある。近所の人が、道で会ったときなどにダイレクトに出版物の感想を伝えてくれる。
「地域の人に向けた出版も面白いんじゃないか」(川口さん)
川口さんはそう思うようになった。屋号を「真鶴出版」に決めたのも、地元のおじいちゃんおばあちゃんでもわかる、シンプルな日本語にしたかったからだという。
真鶴を訪れるきっかけになる“ひもの引換券”
次に制作したのは、2人が真鶴に来て感動したという“手づりのひもの”をテーマにした『やさしいひもの』だった。かつては朝食の定番だったひものだが、時代とともに食べる習慣が失われていき、真鶴で残っているひもの屋は現在3店のみ。川口さんはすべてのお店に取材をして、おいしいひものの食べ方やひものの歴史、ひものにまつわる唄などをイラストとともに紹介。1000部刷り、北は福島、南は福岡まで、全国12の都府県の書店で販売している。
この冊子の面白いところは、「ひもの引換券」がついていること。券を真鶴のひもの屋に持っていくと、ひものセットと交換してもらえる。
「真鶴のおいしいひものを食べてほしかったんです。最初は、出版物と一緒に食べ物を送る『たべる通信』のような仕組みを思いつきました。でも、真鶴は東京から1時間半くらいで来れるので、せっかくなら食べに来てほしい。引換券がそのきっかけになればいいと考えたんです」(川口さん)
お店がお客さんから受け取った引換券を真鶴出版に渡すと、真鶴出版から多少の支払いをする仕組みにもしている。回収した券は出版から1年半でおよそ100枚。『やさしいひもの』は地元でも販売したので、すべてが外から訪れた人の形跡ではないが、引換券で真鶴のひものに出会った人が確実に存在している。とあるひもの屋の店主からは「ひものの救世主だね」なんて言われたそう。
出版物で発信し、宿で迎え入れる循環
真鶴出版はこのように、川口さんが地元に根付いた出版活動をしている一方、來住さんは1日1組限定で民泊を運営している。最初の1年は9割が外国人だったが、『やさしいひもの』を出版してからは、それを見た人が訪れるようになった。川口さんが出版物で真鶴の情報を発信し、本屋で情報を受け取った人が実際に真鶴を訪れ、來住さんが宿で迎えるという循環が生まれている格好だ。
「当初、出版との連携はとくに考えていなかったんですが、いまはこれが合っていると思います。面白いことに、だんだんお客さんの層が一定になってきたんです。年代や国籍はあまり関係なく、ローカルに興味があったり、古い物に価値を置いていたり、人とゆっくり時間を過ごしてつながりを大事にしたいと思っている方。そういう層のお客さんが多いので、宿としてもすんなり受け入れやすいんです」(來住さん)
『やさしいひもの』の読者からは、川口さんと來住さんの活動に対して共感する声が挙がりはじめた。宿を始めるとき、観光地ではない真鶴でやっていけるか不安があったため、民泊という小さい形でスタートをきった。2年半を経て「自分たちのやりたいことがことが、届く人にちゃんと届けばやっていける」とわかった。そこで來住さんは意を決して、宿泊専用の真鶴出版2号店をオープンすることにした。
役場から委託される仕事が重要な収入源に
次に川口さんが制作したのは、役場の健康福祉課と社会福祉協議会から委託された『小さな町で、みんなで生きる』という冊子だ。もともと全国の各自治体は、福祉の方向性を策定した「地域福祉計画・地域祉活動計画」を作成しており、真鶴のものはA4用紙で90ページに及ぶ。これを、まちの人たちに向けて16ページのダイジェスト版にした。わかりやすいように写真やイラストを多用し、フォントは大きめ、当事者を登場させて「顔が見える福祉計画」を表現した。完成したら約3000ある真鶴の全世帯に配布された。こうした役場から委託される仕事が、いまは真鶴出版・出版事業の主な収入源になっている。
「役場にとっても、僕らのような新しいところに発注するのは挑戦だと思います。役場にもいろいろな方がいて、仕事を発注してくれる方は、真鶴を元気にしたいという思いが強い。移住してきた僕らを応援したい、連携していきたいという気持ちを持ってくれています」(川口さん)
「普段から親しくしていて、自然発生的に『そういえば、こういうのできますか』と相談されることも多いですね」(來住さん)
地元クリエイターを活用すること
また川口さんは、「無理にこだわるつもりはないけれど、地元のクリエーターと一緒に働けるにこしたことはない」と言う。出版物のデザインは、真鶴在住のデザイナー兼イラストレーターである山本知香さんにお願いすることが多い。
同じ地方同士、横のつながりも広がっている。奈良県東吉野村にあるコワーキングスペース「オフィスキャンプ東吉野」に遊びに行ったとき、まちからの委託で地元のクリエイターたちが制作したという小学生向け副読本を見せてもらった。デザインや写真のクオリティも高く、よいクリエイターがいれば、地方の出版物も東京のものに負けず劣らずよいものになると確信した。
「いままで、メディアや出版物というと、東京で作って全国に届けるものでした。でも、地域で作って、地域の人に向けて届ける出版物は、もっとよくなる余地がある。実際にいま、そうした事例が全国各地で起こり始めているように思います」(川口さん)
一方、東京の出版社から仕事がくることもある。最近は、箱根観光のための情報誌の取材を引き受けた。出版社にとっても、交通費がかからず現地のことをよく知る地元のクリエイターに依頼した方が、いろいろと都合がよい。そうした需要があることも、移住してから知ったことだ。
真鶴のよさを外の人にも地元の人にも伝える
真鶴のまちには「背戸道」という、細い路地が至るところにある。真鶴町の企画で町外のアーティストたちとワークショップをしたとき、この道の趣に着目して背戸道マップを作った。
「地元の人からは最初『こんなのがいいの?』という反応だったけど、実際にそのマップを持ってまちを歩く人たちを見て、だんだん『本当にいいんだ』と思ってくれたみたい。同じ場所でも、切り口が違うと見え方が変わって、訪れる人も変わる。紙媒体という形にすると、外の人にも、地元のおじいさんおばあさんにも伝わるのがいいですよね」(來住さん)
自分たちの仕事を作りに真鶴へやってきた2人。これまで真鶴出版は、さまざまな出版物を制作してきた。全国へ向けたもの、地域に向けたもの、自ら企画したもの、依頼されたもの……。次は、すぐ側にある、かつて「岩道」と呼ばれていた通りのお店情報などを掲載した地域新聞を作りたいと川口さんは考えている。
また、いまは出版事業の収入の7~8割は委託業務で占められているが、宿の2号店が落ち着いたら、全国の読者へ向けたオリジナルの出版物も作りたいと考えている。いずれにしても、自分たちが住む真鶴を大事にしながら働くというスタンスは、これからも変わらない。