JR、東京メトロの複数路線が乗り入れるターミナル池袋駅から、東武東上線の各駅停車にひと駅乗ると、低層の住宅がどこまでも続く、都会のエアポケットのようなまち、上池袋にたどり着く。戦後、「木賃(もくちん)」と呼ばれる木造の賃貸アパートが多く建築されたこのまちで、”木賃文化”を盛り上げようと夫婦で活動する「山本山田」に話を聞いた。
「山本山田」という不思議なユニット名
「山本山田」は、山本直さんと山田絵美さんが、地域で活動を始めた時に使いだしたユニット名である。活動のきっかけは、上池袋で生まれ育った山田さんの実家が所有していた、風呂なしトイレ共同6畳一間の木造賃貸アパート「山田荘」を、一人娘の山田さんが継ぐにあたり、住むだけではない面白い活用をしたいと発想したことだった。現在は「山田荘」に加え、徒歩3分の距離にある木造2階建ての物件「くすのき荘」との2拠点で、木賃文化を一緒に楽しめるメンバーを募り、「木賃文化ネットワーク」と名付けた活動を行っている。
「山田荘は築年数も古く、快適に暮らすことを目的にした場合、機能的には整っていません。だからこそ、新しい暮らしや木賃アパートの使い方が実践できると思ったんです」(山本さん)
老朽化してあまり家賃収入も見込めない木賃に早々に見切りをつける大家も多い中で、山本山田は「アーティストやクリエイターの力を借りれば、木賃に新しい価値が芽生える」と直感していた。つまり、「木賃文化ネットワーク」は、木賃をめぐるあたらしい暮らし方を発見するための実験場でもあるのだ。入居者の実践する木賃での暮らしや過ごし方、そして木賃アパートを多くもつまちの価値を、多角的に発信していくことを目指して「木賃文化ネットワーク」という活動名を掲げた。
「木賃アパートには価値がないと思っている大家さんに『ちょっと視点を変えるだけで使いたい人はいっぱいいるんだ』と、実例として活動を見てもらえたらいいですね」(山田さん)
二つの”ハード”を軸に”ソフト”を編む
山田荘は風呂なし共同トイレの古き良き時代の香りが漂う木賃アパートだ。ひと月4万円弱で入居することができる。そして入居者は山田荘メンバーとなり、別棟の「くすのき荘」を利用することが可能になる。くすのき荘2階はシャワーや広いキッチンを使うことができるので、普段はもっぱら山田荘の入居者の共同リビングとなっている。また、山田荘に入居せず、くすのき荘の1階にある個人ブースをアトリエやショップとして借りているメンバープランがある他、2階のシェアラウンジとキッチンを使用でき、イベント占有も可能な2階メンバープランもある。どちらのメンバーも1階のロビー部分は自由に使っていい。詳しくはホームページを参照のこと。
このように、多様な使い方がある山田荘やくすのき荘の運営には、二人のバックグラウンドが生かされている。山本さんは神奈川大学の出身で、建築家ユニットみかんぐみの曽我部昌史氏の研究室でアシスタントを務めていた経験を持つ。
「3.11をきっかけに、建築家も地域に入っていって、ハードだけではなくソフトをつくったり、積極的に関わる流れができてきたんですね。僕はちょうどその時期、学生やアシスタントとして、曽我部さんについて被災地や地域のプロジェクトに入り込んでいました。その経験は、もともとあった建具をカウンターにするなど、ゼロからつくるのではなく、すでにあるもの=イチを活用するという考え方に生かされています」(山本さん)
山田荘とくすのき荘は、リノベーションらしいリノベーションはしていないが、特に驚きなのはなんと、いまだにクーラーがない。これは、山田荘に入居する人やくすのき荘を間借りしているメンバー同士で、建物のあり方そのものを一緒に考えていきたい、という想いがあってのことだ。ほぼ白紙のままスタートして、時間をかけて場所をみんなでつくっている真っ最中だ。
「おかげで、くすのき荘に入居する方々からは、運営ルールなどガチガチにしばられてないことでかえって使い易いと言ってもらえます。メンバーどうしで定期的に会合を開くので、そこで彼らの意見を引き出して運営の仕方を変えたりしています」(山本さん)
アーティスト、クリエイター、子供を持つママの発想力
実際に、木賃文化ネットワークのメンバーたちの、山田荘やくすのき荘での過ごし方は多彩だ。山田荘を住居兼アトリエとして使うアーティストは、くすのき荘を普段はくつろぎや交流の場として使い、時には自らのアート作品の発表の場としても活用している。暮らす場ではなくアトリエとして山田荘を使っているメンバーもいる。近隣で暮らすママさんは、くすのき荘を間借りして、ハーブとアロマの知識を活かせる小さな店をひらき、教室もはじめた。メンバー同士や地域、趣味の仲間との交流の場としてのニーズも高い。ほかにもメンバーの演劇ライターは、演劇について話し交流するための場を定期的に開催している。
山田荘とくすのき荘、そして地域での過ごし方にそれぞれの個性を発揮する木賃文化ネットワークメンバーたち。この自由なあり方は、メンバーの主体性を大切にする山本山田の二人の姿勢があってこそだ。
「メンバー同士やメンバーと地域の人々の間に表面的な関係しか生まれないとしたら、もったいないと思うんです。アートやクリエイティブなど、それぞれの専門性を持つ人が、木賃文化ネットワークを介して、これまでに出会えなかった別の分野の専門性を持った人や要素と出会い、化学反応のように面白いことが生まれたらいい。それをかいま見るのが、ここで活動する自分にとっての目標です」(山本さん)
「個人で思いつくことには限界があるから、木賃文化ネットワークにもっと変人が集まればいいのにと思っています(笑)。ただ中には、自分から主体的に場を作るよりも、サービスを享受する感覚でいる方もいて、メンバー内でも関わり方のグラデーションはありますね。私たちは管理人として山田荘とくすのき荘を運営していますが、同時にメンバーでもあるので、一緒に場をつくる仲間という感覚でいるのですが……」(山田さん)
山本山田は、運営者であり管理者でもありながら、木賃文化ネットワークのメンバーや地域の人と接するときには、常にどこか一歩後ろに下がるように、過ごす人の居心地の良さに気を配り、いる人の個性を活かせるさりげない場や関係性づくりを心がけている。山本山田のポジションは、運営者というよりメンバー間の意見の調整を行う「ファシリテーター」に近いのかもしれない。
まちに出て行くための作法
一方、山本山田は地域に根ざしたコミュニティスペースという役割もしっかり意識している。地元のお祭りに参加したり、地域活動に積極的に取り組むことができるのは、上池袋で生まれ育った山田さんの存在が大きい。山田さんは20代の頃から、谷中・根津・千駄木(通称、やねせん)で毎年開催されているまちづくりイベント「芸工展」の運営に携わっていた。当時は谷根千で暮らしていたこともあった。
そこで、日常的に地域の人と接し、相互理解を育まなければ、地域で何か活動を起こすのが難しい、と知った。ただ、あくまで豊島区出身の山田さんは、谷根千の人たちからすれば「よそもの」。よそものの立場だからできるたことがある。しかし、生まれ育った地元で何か新しいことをするのは非常に難しい。
「中学校から私立でしたし、活動当初は地元に友人があまりいませんでした。ところが、母が地域活動を積極的にやるタイプだったので、『山田さんの娘さんがなにかはじめた』という噂が、すぐに広まりました(笑)。だから木賃文化ネットワークの活動では、私はあまり前に出過ぎないようにしています。もっと、一緒にやっているメンバーが自然と地元の方とつながるきっかけをつくりたい」(山田さん)
地元にしがらみがある山田さんに対して、静岡県出身で上池袋ではよそものの山本さんは軽やかに動いて地域の人と接点を結んでいる。そんな役割分担が自然と生まれるのが、この夫婦の面白いところだ。
「山田さんが動きづらそうにしているので、僕はあえて馬鹿キャラでいようと思って(笑)。 僕ら、お酒は飲めないんですが、近所の『角屋・立ち飲み文次』という角打ちによく行くんです。そこは町内の40代ぐらいの若手で血気盛んな人たちの溜まり場になっていて、よく声をかけてくれます。そのうち、くすのき荘をお祭りの休憩所にしないか? という話をもらったんです」(山本さん)
そこで山本さんは、どうせやるならまちの人がお祭りを楽しみに待ちわびてしまうようなことができないか。それが休憩所を盛り上げることにも繋がるように、ちょうちんに絵付けをするワークショップを開催。くすのき荘を訪れた人に描いてもらったちょうちんは、お祭りの1週間前から当日にかけてくすのき荘の外壁に飾られ、「きれいだったねぇ」と、道ゆく人々から評判を得た。
一見、山田荘やくすのき荘は、どこかからか集まってくる若い人が好き勝手にやりたいことをやっている場所と思われがちかもしれない。しかし、この祭りをきっかけに、より多くの地元の方と出会うきっかけが生まれ、メンバーの素顔や得意なことを知ってもらうことで、地元の人に「きちんと地域にも目を向けている、関わりが持てる場所」だと理解してもらえるようになった。山本山田は今、くすのき荘に隣接するくすのき公園の町内会の清掃活動にも参加している。こうしたきめ細やかな地域活動がまちの人の信頼を積み上げていく。
「地域との関わりは人間の感情が大事ですから、論理的に説明できないし泥臭いんですよね。以前、瀬戸内国際芸術祭に参加して、香川県にある伊吹島で滞在制作していた時、いつも僕がパソコンで仕事をしていると、遊んでいるんじゃないかと、一番お世話をしてくださった漁師のおっちゃんになじられたことがありました(笑)。建築を専門にする僕とおっちゃんでは、仕事の仕方がまるで違うんです。でもそこで互いを知ることを諦めずに、食らいついていく気持ちが大事だと学びました」(山本さん)
木賃文化ネットワークのメンバーがもっとまちで活躍してもいい
地域の人と信頼関係を育みながら、まちにはみ出した活動をしていくことを彼らは「足りないものはまちを使う」というコンセプトで言い表している。山本山田がそうした発想に至ったのには、山田荘をいちばん初めに使いこなしたアーティスト、中崎透さんの影響が大きい。
「山田荘でなにかできないかと漠然と思っていた頃、地域資源を活用した主体的なアート活動の展開を目指して2012年から2016年まで豊島区の事業『としまアートステーション構想』が行われていました。2014年に、そのまちなか拠点として、山田荘を『としまアートステーションY』として中崎さんに滞在してもらったのが、そもそもの木賃文化ネットワークの始まりなんです」(山田さん)
中崎さんはこれまで、山城大督、野田智子とのユニットNadegata Instant Partyとして、団塊の世代にインタビューを行い、そこで聞いた彼らの人生を基に作詞作曲をし、最後に全員で合唱する作品を東京都現代美術館のアニュアルグループ展で発表したり、地域にある看板や標識などから着想し、オリジナルの看板を作る「看板屋なかざき」シリーズなど、人や地域を巻き込んだ作品制作を得意とするアーティストである。
「中崎さんは山田荘を作戦会議の場所やまちあるきツアーの集合場所のように使って、そこに集った人たちとコミュニティを形成しながら、山田荘ではできることが限られるので、まちにどんどんはみ出す活動をしていたんです。それを見ていて、僕らも、山田荘からはみ出してまちと関わる活動を目指そう、と考えました。私たちの活動体『木賃文化ネットワーク』の『足りないものはまちを使う』というスタンスは、中崎さんから学びました」(山本さん)
木賃文化ネットワークの地道な活動は、山田荘やくすのき荘のみならず、実際にまちを巻き込み新しい拠点の形成にもつながった。
「くすのき荘に隙間なく隣接する木造建築があるのですが、ここもしばらく空き家になっていました。もともとくすのき荘で一緒に活動していた即興演奏家の加藤裕士さんが名乗りを上げて借りることになりました」(山本さん)
加藤さんは、隣の物件を「anoxia」と名付け、ひと月に2〜4度ほどライブやトークを開催する音楽を軸としたイベントスペース兼住居として活用している。ひとつひとつの木賃を活かすだけではなく、個々人がそれぞれの関心に応じて楽しみながら、何か新しいことに踏み出せる状況をつくっていくことが、木賃文化ネットワークの目標でもある。
木賃の金額的な手頃さや木賃文化ネットワークを通じた出会いから、個々人の活動をさらに加速させている木賃ネットワークメンバーたち。物件を起点に、小さなコミュニティを育み、そのメンバーが地域住人を巻き込んでいく先に、木造密集エリアが親しみのあるまちへと変貌していく未来が見える。