いつかの老いた私に出会う。『クロスプレイ東松山』より白神ももこ『どこ吹く風のあなた、ここに吹く風のまにまに』レポート

2023.3.26 遠藤ジョバンニ

こんにちは。ライターをしています、遠藤ジョバンニです。

みなさん、「アーティスト・イン・レジデンス(AIR)」をご存じでしょうか。画家やパフォーマー、音楽家などのアーティストが施設に滞在しながら作品をつくる制作形式のひとつです。代表的なものでは、茨城県守谷市の廃校活用施設に、国内外からアーティストを招聘して制作や地域交流を行う「アーカスプロジェクト」など、芸術を通じた地域活性化を目指すものも多く、ローカルを考えるうえでも重要な手法だといえます。

埼玉県東松山市でも、そうしたAIRの手法が用いられたプロジェクト「クロスプレイ東松山」が2022年7月に始まりました。アーティストの方々が滞在する場所は、東松山市は下唐子地区にある医療法人社団保順会が運営する「デイサービス楽らく」。そう、ご想像のとおり、日中にご高齢の方々が集い、レクリエーションや入浴、食事などを楽しむ高齢者福祉施設です。AIRはしばしば、美術館や劇場などの文化拠点で行われることが多いですが、楽らくのような福祉施設を舞台にした実施は、かなり珍しく、かつとても意義のある取り組みなのではないかと思います。

最初は3組のアソシエイトアーティストとして、振付家・演出家・ダンサーの白神ももこさん、文化活動家のアサダワタルさん、東松山市内にあるギャラリーcomeyaオーナーで、デザイン業も営む吉田幸平さん/吉田和古さんを迎え、それぞれが得意とするアプローチで利用者やスタッフと施設で交流を重ね、ワークショップや作品制作を進めたそうです。プロジェクトは、医療法人社団保順会と、アートマネジメントの専門集団である一般社団法人ベンチが協働して実施しています。

今回は、ローカルを考えるうえできっと大切になってくる「福祉」をテーマに、先日行われたクロスプレイ東松山の公演を観劇した私の体験を交え、ローカルで福祉を考えるうえでのヒントについて、ざっくりとこの場を借りて書いてみようと思います。

2022年6月に楽らくはリニューアルし、利用者向けのデイサービス機能のほかに、アーティストやビジターを受け入れるためのレジデンス機能を備えました。

いつか行くだろうけど、行ったことのない場所の遠さ

ローカルを考えるうえで、地域の「福祉」を見つめる機会は、これからも増えていくことになるでしょう。そのなかでもとくに「老い」は、高齢社会という言葉もすっかり定着した昨今、さらにその影響が各地域へと色濃く表れていくのではないでしょうか。現に私の住むまちでは、高齢者の迷い人のアナウンスと、振り込め詐欺の注意喚起の放送が毎日のように流れ、その波がすでに押し寄せていることを感じずにはいられません。

地域の「老い」を受け止める拠点の一つに、クロスプレイ東松山の舞台である楽らくのようなデイサービスをはじめとする「高齢者福祉施設」が挙げられます。これを読んでいる方は、これらの施設へどんなイメージを持つでしょうか。「いつか行くだろうけど、それまでは一度も行くことのない場所」。自分が利用者である場合や、家族や親しい人が利用している場合を除いて、なかなか足を踏み入れる機会は少なく、上記のようなイメージを抱く方も多いかもしれません。都市も郊外も、どの地域にも必ずといっていいほどあるのに、施設の利用者や家族、ボランティアなどの限られた人しか訪れない。同じまちの機能の一部でも、そんな福祉施設に、図書館やカフェ、コンビニなどとは違った、「遠い距離感」を抱く方が大半なのではないでしょうか。

この距離感の根幹には、なにがあるのか。最近私のなかでその一部に触れる機会がありました。それが、先日行われた「クロスプレイ東松山」に参加する白神ももこさんの公演『どこ吹く風のあなた、ここに吹く風のまにまに』。振付家・演出家・ダンサーの白神さんが7月から楽らくへ定期的に滞在し、その手ごたえや経験を踏まえてつくられた2023年1月15日と22日に行われたダンス(と一括りにはしたくないほどに多彩な)プログラムです。私は22日の東松山市民文化センターでの公演を見に行きました。

photo:森勇馬
photo:森勇馬

どこ吹く風のあなた、ここに吹く風のまにまに

会場につくと、通されるのは客席ではなくまず舞台でした。舞台袖から舞台に上がると、そこには机や椅子、ホワイトボードなどが置かれ、すでに高齢者の方々が席について、白神さんやエプロンをかけたスタッフ、利用者さん同士で各々談笑されていました。ここまできて私は、「ああ、私は『デイサービス楽らく』に来たんだ」と気付きました。観客が座る席はその「楽らく」を囲むように半円状に、ちょうど客席と向かい合わせになっているので、私は、かれらを見守る壁になったような気持ちで席につき、開演を待ちました。

プログラムは、楽らくで行われているであろう朝の体操や塗り絵の時間から始まっていきます。利用者の方々がおなじみの歌謡曲に合わせて体をほぐしたり、お茶を飲んで塗り絵をしたりする風景を眺めながら、私が日々せわしなく過ごす時間の比ではない、穏やかな時間の流れを感じました。

そしてもう一点驚いたのが、楽らくスタッフの利用者さんに対する態度でした。赤ちゃんに語り掛けるような、俗に言う子ども扱いではなく、これまで生きてきた一人の人間に対して敬意を払った言葉遣いや丁寧な受け答えに心打たれ、同時になぜかとてもほっとしました。私の後ろで見ていた観客の方々も「いいね、ここに入りたいね」と口々に語っていたのが聞こえてきます。そのあと、白神さんが利用者やスタッフへ一人ずつ声をかけていきながら、彼らによる「一芸発表会」がスタート。

利用者やスタッフがそれぞれ持っている十八番の歌や踊り、アコーディオンの演奏などの特技を、白神さんの踊りをまじえて披露してもらうというもの。とくに印象的だったのが、素敵な歌と南京玉すだれを発表してくださった木村さん。緊張した面持ちでステージに立って私たちに披露する姿を見ていると、「ああ、この人も、過去でなく、私たちと同じ今この瞬間を生きているんだな」と、こちらが励まされるような気持ちが湧き上がってきました。ちょっと間違ったり、立ち止まったりしても、むしろなんだかそれが心地よく、会場には木村さんの奮闘を応援するような空気が帯びていて、最初はハラハラと見守っていた私も不思議と笑顔になっていました。

一芸発表会の最後に、白神さんが一人の車いすに乗った尾上さんという女性の手を引いて、一緒に踊り始めました。静かに、普段目にするダンスとは異なる、非常にスロウなテンポで離れては近づき、くるりくるりと回るふたり。その後のアフタートークで知ったのですが、白神さんがリードするのではなく、車いすで先程までまどろんだ寡黙な女性、尾上さんが、重なった手のひらを通して、白神さんに力強く動きを伝えていたのだそう。

尾上さんとの踊りを終えると、白神さんは「楽らく」の向こう側、つまり反対側の客席のほうへと舞台を降りて一人で駆け抜けていきました。その先にある客席のスペースにはいつの間にか、埋め尽くさんばかりの巨大な白い風船が3個ほど並んでいます。そこへ楽らくにいる方々の「手」の映像が、その人の声とともに映し出され、映像インスタレーションが出来上がりました。さきほどまで「楽らく」だった空間は、「映像インスタレーションの作品の一部」へと変貌を遂げ、「出演者」だった楽らくの利用者やスタッフも、私たちと同じように映像を見つめる「鑑賞者」となって、皆でその人の人生が色濃く表れた「手」をじっと見つめる。それはまるで、私たち一人ひとりの人間が「老い」へと向かっていく、その過程を表しているようにも感じました。

ここにいる皆が、悲喜こもごもありながら、すべからく老いていく。なんだか、老いることは、思ったよりも怖くないのかもしれない。忘れてしまったり、出来ることは少なくなっていくかもしれないけれど、人としての尊厳までは失われない。楽らくの利用者の方々も、そしてこれを見ている私も、まぎれもなく「今」を生きている。老いることを恐がる私の背中をひとすじ、人生の先輩の「手」がすっと撫でて力を抜いてくれたような体験でした。

白神さんが楽らくでの滞在で感じたことを伝えるために、スタッフや利用者と協働して、舞台のうえに疑似的な「楽らく」をつくりあげ、日々の様子を徹底して再現してみせた。そのうえで最後に、空間や役割を一気に転換することで、演者と観客、年齢や性別を超えた、「老い」という最大の共通項について気づくことが出来たのではないかと思います。

photo:森勇馬

「いつかの老いた私」に出会う

この公演を終えて、なぜそのことが私をこんなにも楽にしてくれるのだろうかと、ずっと考えていました。

私の祖父はレビー小体型認知症を患い、晩年寝たきりでした。症状が進むにつれ混乱がひどくなり、自分に失望した祖父が「殺してくれ」と言い放ったあの瞬間を、亡くなって数年が経ついまでも忘れることはできません。私はそれ以降、自分や家族が老いることに対して恐怖に近い感覚を抱くようになりました。私が、もしくは私の家族も、祖父と同じように孤独でわびしい最期を迎えるのではないかと。

私が地域にある高齢者福祉施設を目にするときに感じていた距離感の根幹には、そうした「老いへの恐怖」が居座っていました。『どこ吹く風のあなた、ここに吹く風のまにまに』は、そのこわばりをほぐす、老いのイメージを変える体験となりました。

出来るのに時間がかかっても、忘れてしまっても、役立たずだと非難されることはなく、居場所が奪われることもない。それを受け入れてくれるスタッフや利用者がいて、自分らしく生きることを諦めなくていい。あの舞台にいたのは、楽らくの利用者の方々であり、「いつかの老いた私」なのだと思います。

「経済的合理性」という価値観を重要視する社会のなかで高齢化が進めば、さらに老いに対するネガティブなイメージを抱く機会は、これからもきっと増えてくるでしょう。それに、当たり前ですが、すべての高齢者福祉施設が楽らくと同じような施設ばかりではないでしょうし、すべての人が施設を利用するとは限りません。だから、施設任せにせず、地域で福祉を考えることがとても重要なのだと思いますし、その一歩として自分のなかにいつの間にか根付いていたネガティブなイメージを、アートを介して個人の感覚をほぐすところから出発するのも、いい手立てになるのではないかと私は思います。

せわしなく生きる私たちが、いつか老いて「ゆっくりなら出来る」や「出来ないけどそこにいる」存在となったときに、自分らしく生きるために何を指標とするべきなのか。今回は、高齢者福祉施設「楽らく」と白神さんが出会って生まれた作品から、そこで流れる時間の豊かさや、「老い」について考えを深めるきっかけが得られ、アートと福祉の可能性を感じずにはいられませんでした。これからのクロスプレイ東松山の活動にも、注目しています。

INFORMATION

クロスプレイ東松山 白神ももこ『どこ吹く風のあなた、ここに吹く風のまにまに』
2023年1月15日(日)/デイサービス楽らく
2023年1月22日(日)/東松山市民文化センター ホール
https://bench-p.com/projects/crossplay-shiragamomoko202301/

マップ

ライタープロフィール

遠藤ジョバンニ(Endo Jovanny)

1991年生まれ、ライター。大学卒業後、社会福祉法人で支援員として勤務後、編集プロダクションのライター・業界新聞記者(農業)・企業広報職を経てフリーランスへ。埼玉県在住。知的障害のある弟とともに育った「きょうだい児」でもある。撮影:石田ダダ

記事の一覧を見る

関連記事

コラム一覧へ