緑豊かな自然と閑静な住宅街が広がるエリア・鎌倉山。その一角、海が望める小高い丘の上に立地し、セレクトされた本とコーヒーを楽しめるのが今回取り上げる「惣 common」だ。ここでは、東京からの移住者が地域の人々との関係をつむぐ場としての「本のある空間の可能性」を模索している。
公式サイトのトップに、不思議な店名の由来が記載されている。曰く、“惣”とは「今から500年ほど前に日本各地の集落で自然発生的にできた自治組織」で、その当時「自分たちの暮らしをより良いものにするために寄合が開かれて」おり、「共有の土地や水など(common)の使い方について話し合われる場となっていた」と。これを読むだけで、この場所をどういうものにしたいのか/したかったのか、明確な意志が感じられるのは筆者だけではないだろう。
本とコーヒーは人を集める手段
いわゆる高級住宅地である鎌倉山に、なぜこのような本を売るカフェが作られたのか。
作ったのは、ある家族だ。しかもそれは、父親の定年をきっかけとした移住に伴うものだった。烏野仁さんは、自身の引退後の家族生活を都心から離れてゆっくりできるところに求めていた。そして、移住するならばそこで何かをやってみたい、人の集まる場所を作ってみたい、と考えるようになった。
「最初は別のエリアで土地を探していたのですが見つからず、鎌倉はどうかと思ってその帰りに車で通ったら、ここが売地になっていました。広さもちょうど良いだろうということで決めたのですが、すぐにコロナ禍に入ってしまった。さてここで何ができるかと考えたとき、こういうところは都心と違い、人を集めるには何か呼び込めるツールがないと難しい。そこで、本のあるカフェというかたちを思いつきました」(烏野さん)
住居とスケルトン状態の店舗を作って引越してきたのが、そのコロナに見舞われた最初の年の2020年7月で、店をオープンしたのは2021年5月。本の選書とテーマ分類をブックディレクターのBACH・幅允孝氏に依頼しているのだが、そこでまずこのスペースにかける思いが感じられる。
「中目黒の「the GARDEN」というレストランにたまたま入ったら、幅さんが選書されたセンスの良い本が並べられていたんです。これを見てピンときて、幅さんに連絡を取りました。SDGsなどを念頭に選書のテーマ分類を考えたいと思っていたので、幅さんと一緒にアイデアを出し合って詰めていきました」(烏野さん)
鎌倉との出会いも幅氏とのそれも偶然だったというが、ほかにも下北沢の書店「B&B」などを参考にしながら、一歩ずつ動き出していくことになった。ただ、本やコーヒーはあくまで人に来てもらうための手段と考えていた烏野さん。たしかに中目黒や下北沢のような商業エリアでのやり方と同じではそもそも成り立たないし、やる意味もないだろう。
「地元の人にリピーターになって欲しいと思っていました。散歩の途中にふらっと立ち寄ってもらう、みたいにね。東京を離れてやるのだから、こちらから地域に入り込んでいかないといけない。この界隈は、昔から住んでいる人、新しく移り住んでいる人、入り混じっています。そういう人たちが行き交う場所になればと思っています」(烏野さん)
「惣 common」という場所
具体的に店内を眺めてみよう。本とコーヒーは手段だと言いながら、気の利いた調度品やメニュー構成で、満足度の高いカフェ体験ができる。店長を任されているのは、商いとして本を売るのもカフェラテを作るのも初めてだったという次男の泉さんだ。
まずは本棚から。先述のとおり烏野さんと幅氏とで設定した9つのテーマ―「公平な社会の在り方」「食と生物の連環」「体と心の健やかさ」「ものとその循環」「学びの型を手に入れる」「働き方とテクノロジー」「まちと住まいの行く末」「環境問題を真剣に」「未来のコミュニティ」―に沿い、関連する書籍がずらりと並べられている。そこからさらに興味をひくようなフレーズ(睡眠も大事、心地の良い暮らし、など)でテーマが細分化され、タイトルを目で追っていくだけでも楽しい。棚の一部は貸し出され、いわゆる棚貸し書店の側面も併せ持っている。
ユニークなのがそのシステムで、新品も中古も分け隔てなくすべて定価で販売され、ここで買った本ならば読み終えたら買い戻してくれる。SDGsの取組を意識しているというだけあり、現金だと70%、店オリジナルのポイント制度を活用すると80%の比率で本を「循環」させている。
「最初に本を仕入れるときは幅さんにまとめてお願いしましたが、それ以降は自分たちで対応しています。売れたら改めて同じものを仕入れたり、テーマに合う別の本を探したり。取次には、バリューブックス、子どもの文化普及協会などを併用しています」(泉さん)
SDGsの観点からカフェの方に目を向けると、肝心のコーヒー豆は、もちろんフェアトレードの豆を取り扱っているところから仕入れている。ホットチョコレートやチャイなどのほかのメニューでも、なるべくそうしたものへ意識を向けているそうだ。また、食品ロスは極力出したくないので、敢えてランチの類には手をつけていない。
さて、烏野さんは当初、「本があれば自分と同じような定年退職をした男性が来るのではないか、なぜなら我々世代の多くは本を読むはずだから」というイメージを持っていた。だが、店を切り盛りする妻のますみさんと泉さんは、そのイメージを積極的に実現するような空間にはしたくなかった。まずはお洒落に装い、女性客が来やすいようにしないと人は集められないと考えていた。
実際は、夫婦や若いカップルなど、女性が男性を連れて来店するというケースが多いそうだ。やはりこの雰囲気に導かれるのだろう。中でも七里ヶ浜など近所に住む人たちが多いが、店を目指して横浜や藤沢などからわざわざ訪れることも珍しくないという。そして、皆一様に本を読んで過ごしているのだと。
「いずれにせよ本を読みに来るお客さんが圧倒的に多い印象です。売り物なので丁寧に扱ってくれますが、実はそこまでは売れていないかな(笑)。2〜3時間かけて本を1冊読み終える方もいます。店のシステムを活用して、読みきれなくて買って帰り、だいぶ経ってから戻してくれたという遠方の方もいましたね」(泉さん)
買った本を売ればポイントがたまり、それをカフェに利用できるので、そうした使い方を推奨していきたい。逆に、カフェの常連にも、たまったポイントを使って本を買ってもらうように仕向けていきたい。これらのシステムはまだまだ浸透しきれてはいないが、これからゆっくり馴染んでいけばいいと思っているところだ。
コミュニティ作りのためのしかけとこれから
だが、人の集まる場所という当初の目的のためには、ただ構えて待っているだけでは不充分である。
そこで、イベントである。目玉としているのが、「あおぞらほんの市」。これは、参加者を募り、敷地内の屋外テラスや駐車場を使って行われる、マルシェの一種である。ひとりあたり1平方メートル弱の出品スペースが与えられ、出品物の基本は本だが小物などでも良く、また売買のみでなく物々交換でも良い、といったゆるいルールが設定されている。2024年5月時点で、すでに4回ほど開催したそうだ。
出店するには、500クルッポという鎌倉市で使用されているコミュニティ通貨(まちのコイン)を支払う必要がある。これは鎌倉エリアのみで使えるポイントのようなものだが、スマホにアプリをインストールすれば誰でも使えるので、鎌倉在住・在勤などは問わないものだ。こうした場面でも、さりげなく地域資源を活用しているのは心憎い。
「イベント自体も賑やかですが、実はその後の打ち上げも毎回盛り上がります。だいたい20組くらいの方たちに参加してもらうのですが、ほぼ全員が残ってテラスでバーベキューをやります。家族連れも多く、ここで知り合いになるパターンも結構あるので、地域交流の機会になっていますね。裏山でタケノコ掘りをしてもOKです」(泉さん)
ほかにも、ミニコンサートや地域住民たちによるヨガ教室が開かれたり、さらには野外上映会なども今後は企画中とのこと。ゆったりとした雰囲気の店内や竹林を臨むテラスを活用したイベントも、このように様々に行われている。
「それにしても、父の最初の発想はわかる気はするんですよね。リタイアしたお父さんたちが、行くところがないよなと言いながら本を読みにやって来る場所、みたいな。たしかにそういう方も中にはいて、だいたい常連になってくれています。もっと増えてもらえるといいなと思いますね」(泉さん)
烏野さんは、この店を開いたことで地域活動の場に呼ばれるようになった。西鎌倉エリアのまちづくりを住民たちで考える検討会に参加し、地域全体の課題や対応策についても思いを巡らす日々を送るようになったのだ。地域の人たちから頼られるようになるとは、ある意味思わぬ効能ではないだろうか。
「僕の存在を知っている人が増えることは、嬉しいですよね。まあでも、みんなやればいいと思いますよ」(烏野さん)
たしかに、終の棲家と地域の居場所を同時に作り出した烏野さんの振る舞いは、定年後に孤独になりがちな人と地域社会に還元されるべきその経験のマッチングという点において、ひとつの社会課題に向き合うモデルになるのかもしれない。また、周囲をかえりみずひたすら企業戦士として走り続けてきた“ある種のうしろめたさ”を抱えるシニア層に対して、やるべきことはまだまだあるぞと鼓舞しているようでもある。
だが、改めて思い返してみる。「惣 common」は、冒頭に引いたように「自分たちの暮らしをより良いものにするための寄合」、「共有の土地や水などの使い方を話し合う場」、そういったものをイメージして名付けられ作られた場所であった。500年前も今日も、人々が集まりなんらかのコミュニティが形成されるときは、より良い暮らしの捉え方がそれぞれ違ったり、土地や水の使い方を個人の損得でしか考えない輩が現れたりするだろう。
だから、本は単に人を呼び込むだけでなく、人と人をつなぐ手段としてもあることが重要なのである。代々住み続けている人も移住してきた人も、ここに集まって、本に囲まれながら、じっくり話し合ってみる。すると、仮に対立するような意見が飛び交ったとしても、過去の人々はどうやって乗り越えてきたか、同時代の価値観ではどう解釈できるかなど、そこにある選りすぐりの本に手をのばせば解決のヒントを探れるはずだ。
烏野さんは結果的に、地域編集のための舞台を作った、とも言えそうである。本のある空間は、人々の間を調整する装置となる。イベントなどを越えたところで、場の持つ力がどう役立っていくのか。その経緯を、これからも見つめていきたいと思う。