創刊から14年続く、ローカルメディアとしては老舗の雑誌てくり。しかし、てくりが創刊した当時は主流だった紙媒体だが、今では地方発信もwebが主流となってきている。そんな中、雑誌という形態を選び続ける理由はなにか。編集メンバーに話を聞いた。
変わりつつある盛岡
盛岡は南部藩の城下町として、あるいは石川啄木や宮沢賢治が青春時代を過ごした岩手県の文化の中心として、秋になると鮭が登ってくる市街地の川などもあり、歴史的な建物や由緒ある路地、などがたくさん残るレトロなまちだ。
例えば7年ほど前まで現役の銀行として使われていた岩手銀行赤レンガ館は、明治41年の建築で、東京駅で知られる辰野金吾の設計としては東北で唯一残る建物。
ほかにも、最近その姿が盛岡のアイコンとして使われている、大正2年建築の紺屋町番屋をはじめ、岩手銀行赤レンガ館や、江戸期から残る商家「茣蓙九」なども残っているこの一角は、市民の母なる川、中津川沿いの遊歩道もあって、いかにも盛岡らしい風景が残る。
近くには、かつての銀行や昔ながらの古い写真館の建物もいくつか残っていて、特別な史跡としてだけではなく普通にまちに溶け込んでいる。
そんな盛岡だが、近年は新しいマンションが立ち並び、美しい庭園で有名だった料亭の大清水多賀や丸竹、交通の中心として昭和な雰囲気を残していたバスセンターなど、昔から市民に親しまれてきた建物や風物が都市化によってどんどん姿を消してきている。昔ながらの町家や老舗商店なども、気がつくといつの間にか姿を消していたりして、古き良き盛岡はどんどん変化し続けている。
いまある盛岡を残したい
懐かしい路地、思い出の店も、消えてしまうと記憶に残らない。今ある建物や道も次の瞬間姿を消すかもしれない。そんなことから「今ある盛岡」を記録に残そうと、普段着の盛岡を書き留めているローカル雑誌がある。リトルプレスとしてはもう老舗と言われる、半年に一度のペースで発行されているローカル雑誌「てくり」だ。写真がベースで、しっかりとした取材に基づく内容の深さを持ち、落ち着いた雰囲気の本誌は、女性を中心にファンが多い。
創刊は2005年で、これまでに27号を数える。創刊の数年前に行政の後押しにより、盛岡のまちを紹介するリーフレットを作るためにチームを組んだ、同年代のフリーランスの女性クリエイターたちが意気投合し、4年越しの企画を実現して始めたものだという。当初のメンバー6人から、家族の転勤などにより現在のスタッフは3人。グラフィックデザイナーの木村敦子さん、フリーエディターでライターの赤坂環さんと水野ひろこさんだ。
「クライアントの意向に縛られない、自分たちが作りたいように作れる雑誌を作りたいという話から始まりました。どんどん変わる盛岡のまち。変わってしまうとそこに何があったのかわからなくなります。観光地を取り上げるのではなく、特別なものを取り上げるのではなく、今ある盛岡を記録したいのです」(木村さん)
創刊以来14年になるが、「無くなるものを記録したい」「『ハレ』ではなく『ケ』の盛岡を取り上げたい」というコンセプトは創刊時からブレていない。純広告がないどころか、個別のお店の紹介もほとんどしていない。「タウン誌でもなく情報誌でもない、ほっと一息つけるカフェ的雰囲気のビジュアル誌」とHPに書いてある。「時代や場所に左右されない、普遍的な何か」を掘り起こしたいとのことだ。どちらかというと「人」や人が持つ「技」、そして「場」を取り上げる。「こういう人たちで盛岡はできている」ということを表現したいのだという。
てくりが醸す空気感
制作スタイルとしては、ライターである赤坂さんと水野さんによってきっちり時間をかけ、場合によっては自ら体験しながら取材された文章がベースにある。レギュラーカメラマンは、自然や暮らし、人を空気感まで写し出し、自らの本も出版している奥山淳志さん。
「あえてアナログにこだわり、フィルムから手焼きプリントされています。それを改めてスキャンするので手間はかかっているのですが、その、デジタルでは出せない雰囲気がまたてくりのテイストにも繋がっています」(木村さん)
デザインは木村さんが担当している。ざらりとした手触りの紙に奥山さんのアナログな味がよくマッチし、レトロなまち盛岡の雰囲気を醸している。
一方、実際にどのような場所で手に入るのだろうか。配布先について詳しく聞いてみた。
「書店を中心に、約80店で販売してもらっています。そのうち盛岡市内は約20。納品も、集金もみんな人海戦術で結構大変ですが、役割も責任も分担しながら作っています。経理は主に私が担当することになっていて大変です(笑)」(水野さん)
その取り扱い80店は初めからあったわけではない。自分たちでひとつひとつ開拓し、この半分にも満たない取り扱い店舗でスタートしたのだという。発行し続けながら1店舗ずつ増やしていくうちに、アートやクラフトの雰囲気を持つそのクオリティや題材が女性を中心とした読者から評価されて売れ始め、知名度が上がっていった結果、今度は取引していなかった書店や雑貨店などから「扱わせてほしい」と問い合わせが来るようになったとのこと。どんなことでも始めるのは簡単だが継続は難しい。自分たちがやりたいことをブレずに継続してきたからこそ、それが評価されたのだろう。
「今の約80店舗のうち、半分ぐらいは先方からメールをいただいて取引が始まったところですね」(木村さん)
取扱店によって委託販売と買い取りがあるそうだ。委託販売の場合、新しい号が出るたびに古い号を回収するのではなく、委託先にはバックナンバーもそのまま引き続き並んでいるとのこと。半年に一度販売分の集金だけを行う形だそうだ。それが次の号の製作費となる。
紙媒体から広がる展開
ところで、この時代なぜwebではなく紙媒体なのか。印刷してしまえばもう修正が効かなかったり、印刷費が負担となったり、出来上がった本を納品したりと、webに比べて紙媒体は手間もコストもかかり負担が大きい。
「webの知識がないからということもありますが(笑)『記録』が本誌のコンセプトなので、そう考えると記録媒体として永遠に残るのは紙か石ぐらいでしょう」(木村さん)
「手に持った物質感に価値を求める世代でもあるので」(水野さん)
確かにwebは速報性がある。しかしてくりは速報性を重視した情報誌ではない。喫茶店文化や老舗店舗、職人など、この先消えていくかもしれないものを取り上げ、「今ある盛岡を『記録』」し残していくのがコンセプトなので、紙媒体という選択が一番しっくりくる。
しかし彼女たちは紙媒体の発行にだけこだわっているわけではない。てくりHPに「te no te」というコーナーがある。2009年にてくり別冊として発行された「いわ『てのて』の仕事〜te no te」で、焼き物や木工品、織物、鉄器など16カ所の工房を訪ね、岩手県内の手しごとやクラフトを紹介したことがきっかけとなって、それらの手しごと品、クラフトなどを「te no te」コーナーで販売しているのだ。記録は紙で、モノを知ってもらい、販売するのはwebでというメディアの使い分けをしている。
さらに2010年からは、脱サラして雑貨店を開いた女性をバックアップし、「まちの編集室」として店のプロデュースを行いつつ、てくり別冊で取り上げた工芸品作家などとの橋渡しをしているとのこと。
その店「ひめくり」は、盛岡のまちの真ん中を流れる中津川沿いにあり、彼女達が紹介した工芸品などのほか、もちろんてくりバックナンバーや別冊、「まちの編集室」で手がけた冊子なども並んでいる。メディアを作るだけではなく、リアル店舗にも関わり、そこから立体的にまちを編集しているのだ。
まちを形作っているひとにフォーカス
盛岡の雑誌とはいえ、「盛岡LOVE」とか、「まちの活性化のために」という大仰な気持ちはないそうだ。
「どちらかというと、『盛岡が好き』という人を見てる方が面白いです(笑)。だから『あなたはなぜ、ここにいるのですか?』というコーナーで毎号様々な人たちを数人ずつとりあげています。移住してきた人もいれば、盛岡から離れたことがない人もいる。その人たちが語る盛岡が面白いのです。この人たちで盛岡というまちができているからです」(赤坂さん)
ちょっと引いた立場で、でも楽しく「いまの盛岡」を残す。特集タイトルは号によって「文学の杜にて」「醸す力」「マメなはなし」「盛岡の喫茶店」「盛岡てつびん物語」「街角の老舗」など様々な切り口で編集されているが、読んでいくと、あくまで「ひと」がその中心にいることがわかる。
例えば最新号(27号)の特集名「醸す力」。「発酵」だけではよくわからないが、あえて「力」と名付け、100年続く麹屋での取材・醤油づくり体験や漬物、チーズケーキ、エゴマ醤油、キムチ、日本酒などの発酵食品を作る人たちが伝えたい思いを描く。並行して、同じ「発酵」でも藍染の染色家を取り上げる切り口も面白い。また直接発酵には関係ないように見えるが、閉店した老舗喫茶店を引き継いで再開させた人にもスポットを当てている。その喫茶店がこれまで「醸し」てきた長い時間や雰囲気もまた「醸す力」というわけだ。
さまざまな切り口で、盛岡に生きる人たちを取材し、その人たちが形作っている「歴史あるまち盛岡」を記録しているのが「てくり」なのだ。
無理のないスタンス
当初の6人からこの3人になっても、その都度カメラマンやイラストレーターを起用しながら、15年間発行し続けてきた。驚くことに、チーフとなる編集長はいないのだという。すべて3人で話し合い、SNSで連絡を取り合ったりしながら発行してきたのだそうだ。ただ、自分の仕事や生活も忙しい3人。都合を合わせて集まる頻度を確保するのが難しい。
「それで年2回の発行にした側面もあります。なかなか集まれないし、でも自腹でやるからにはそれぞれ自分のやりたいことも叶えたいし。それには発行スパンを長くするしかないのです」(木村さん)
発行スパンも、運営スタイルも自由気まま。いい意味で肩の力を抜きながら、自分たちのスタンスを崩すことなく、号ごとに興味あるテーマの掘り起こしを軽やかに楽しんでいる様子がうかがえる。
「これから先の目標とか展望は特別ないんですよ。どこを目指すとか、何を目標にするとかあまり考えていません。やめたくなったらやめるだろうし、でも今はおもしろいから続けているという感じです。クライアントに左右されないから好きなように作れるし」(木村さん)
まちの編集室
3人はそれぞれフリーランスとしての仕事の他に、「有限責任事業組合」をつくって「まちの編集室」と称している。
有限責任事業組合(LLP)とは、2005年に法律ができて利用可能となった新しい事業形態。出資者が自ら出資した範囲内での責任を負う組合だ。利益配分は組合内で決めることができるので、非常に自由度が高い。その代わり法人格を持っていないので、許認可などを受けることはできないが、必要な場合は個人で受ければ良い。フリーランスが集まり、共同で売上や経費を計上しながら何か事業を行いたい時には大変便利な組合といっていい。
てくりも事業組合の仕事のひとつだし、行政や民間からも「まちの編集室」として仕事を受けることもあるそうだ。てくりを作りながら、テーマをもっと掘り下げたいときは不定期でてくりの別冊を作ったりもしている。
メンバーそれぞれ発行している間に子どもが生まれたり、子育てをしながら発行を続けてきた。自分の仕事もしながらなので、相当忙しい毎日なのだろうが、株式会社でもなく、NPOでもなく、ある意味ゆるい共同体での発行が、彼女たちのてくりに対するスタンスを表しているように感じた。