Happy Outdoor Weddingができるまで(前編)

2017.9.29 柿原優紀

Happy Outdoor Wedding ウェブサイト

こんにちは。編集者の柿原優紀です。tarakusa株式会社という会社を立ち上げ、地域文化やまちづくりといったジャンルのメディアを編集する傍ら、地域資源を編集し、公園や公共施設、畑、キャンプ場、団地などの地域フィールドにハレの光景をつくる「Happy Outdoor Wedding(以下、H.O.W)」という事業を行っています。

等身大のモヤモヤと仲間との妄想

関西の美大を卒業した私は、上京して憧れだった旅雑誌の編集部にアシスタントとして入り込み、編集者への道を歩き始めました。大手出版社での編集部員などを経て、2009年、都内の小さな出版社に移籍。スローやエコとカテゴライズされるライフスタイルや環境問題、そして社会課題や社会起業を取り上げる雑誌や書籍の制作のために国内外への取材に明け暮れていました。

当時28歳。自分も友人も結婚の話をよくするようになり、「結婚式、どうするの?」なんて話題が行き交っていました。しかし、周囲の声はというと、「好みどおりのものは見つけられなかった」「だんだん分からなくなってきた」「結婚式って高いよね」「席数が限られていて呼びたい友達を呼べないかも」など、楽しげなものだけではなかったんです。私自身もその年に結婚し、自分の結婚式を準備しようかと、ちょこちょこと調べ、気が向けばブライダルサロンの窓口にカタログをもらいに行ったりしたこともありましたが、なかなかしっくり来ない。

そんななかで、私と仲間は、まるでいつもの雑誌の特集企画を考えるように「結婚式ってこうやってできたらいいよね」と話し始めました。なんでも企画化してしまう、職業病だと思う。

「外でのんびり、気楽なのがいいなぁ」
「結婚式会場じゃなくてもいいんだけどね」
「いつも住んでいるまちでできたらいいのにね」

そんな妄想。職業的でありながら、一市民としての等身大の提案でした。

最初の記事となった都内公園でのウエディング事例

メディアのはじまり

「例えば公園なんかで、結婚式を自分たちでつくるために参考にできる事例が集まったwebメディアがあればいいよね。式場発信じゃなくて、実際にやってみた人のHOW TO紹介みたいな感じで」

そこから、私たちが描くところの「結婚式」の事例を探し始めました。当時、日本語で「ウエディング」「公園」「アウトドア」などと検索しても、ヒットするものはゼロ。ところが、英語で「wedding」「park」「outdoor」などと検索すると、アメリカのゴルフクラブハウスを活用したウエディングやオーストラリアの草原のなかでの結婚式、フランスの市役所での結婚式の様子が出てくる。そんな「式場からのパッケージ紹介」ではない海外の実例を見ながら、いつもワクワクしていました。

でも、私たちが描いている結婚式のイメージって、もっともっと身近なスタイルだったんですよね。そして、日本と世間のルールも常識も違うであろう遠い何処かの国の様子ではなく、等身大で参考にできる身近な事例はないものか。諦めずに夜な夜なリサーチのためネットサーフィンをしていると、ようやくひとつの事例に行き着きました。それは、「都内の公園で結婚式を開催する友人に招かれたはいいが、どんなものか想像できずに行ってきたらとても良かった」という女性の日記。

「はじめまして。◯月◯日のブログを読みました。こんなふうに公園で結婚式をできる人が増えればいいなと思い、そんな事例をたくさん集めたwebメディアを制作しようと思っています。もしよろしければ、挙式されたお友達をご紹介いただけませんか?」

こんなふうにブログの持ち主へメールを送ってみると、後日、快諾の返事が来ました。そして、公園で挙式をしたご夫妻にインタビューをすることになったんです。

なぜ公園でウエディングをしようと思ったの?
場所はどうやって決めたの?
どんなふうに計画をたてたの?
どんなふうに準備をすすめたの?
準備にはどれくらいの時間をかけた?
ウエディングではどんなことをしたの?
ゲストや友人には何を手伝ってもらったの?
どんなことで苦労したの?
失敗したことは?
お金はどれくらいかかった?
雨だったらどうする予定だった?
開催してみた感想は?

インタビューのためのメモは、こんな項目でびっしりでした。アウトドアウエディングをしたいと考える人ならだれもが聞いてみたいであろうことを次々に質問。自由でオープンな人柄の夫妻は、アウトドアウエディングを作ってみて実際に感じた喜びや苦労したことをざっくばらんに話してくれ、私はその話を記事にしました。こんなことを幸運にも3回ほど繰り返すことができ、ウェブサイトオープンの段階で3つの記事ができあがりました。

ウェブサイトといっても、当時ブロガーが使っていた、無料のブログ開設サービスを使い、数百円でドメインとサーバーを設置しただけ。会社をやめたばかりの私にお金はなく、ロゴすら制作せずに、記事を載せて公開しました。

朝起きたら、その朝公開になった記事がSNS上で話題になっていた。高尾山でのウエディング取材記事。

発信から生まれたコミュニケーションと実感

このころ、「アウトドアウエディング」を題材としたこのメディアに事業計画のようなものやビジネスモデルの想定があったかというと、なにもありませんでした。どちらかというと、単発で思いついた企画を立ち上げたような感覚。プレスリリースも作ってなかったので、編集仲間のネットワークを活かして、記事を転載してもらえる媒体を探しました。

「結婚しても結婚式を挙げないカップルが6割もいる現状で、アウトドアウエディングの可能性を提案したい」

そんな想いをもとに、読者層と感覚が合いそうなwebマガジンや環境系のライフスタイル雑誌、アウトドア雑誌などに記事を送り、転載してもらいました。「アウトドアウエディング」と聞いて、多くの人が「本当にできるの?」って感じると思ったので、新郎新婦自らがプランナーとなって友人たちとアイデアを出し合い開催までたどり着く、というメイキングの部分を重視した構成に。すると早速、公開初日からソーシャルメディア上で話題となり、手応えを感じたのを覚えています。

さらに、H.O.Wのサイト本体にもメールが届き始めます。その多くは、「こんなアイデア待っていた」「自分のウエディングをするならこんなふうにやってみたいと思った」といった感想でしたが、次第に思いがけない声も届き始めました。

「いくらでウエディングのプランニングをしてくれますか?」

結婚式場で1秒すら働いたことのない私は、ウエディングプランニングをして稼ごうなどと考えたことは一度もありませんでした。そのため、こういう質問に対しては、H.O.Wサイトに掲載されているストーリーを参考にしながら、自ら開催して欲しいと返信し続けました。せっかくやってみたい、協力してもらいたいと期待してメールしてきた読者が、私の返信で失望し、自分たちなりのウエディングを開催することを諦めていたとしたら寂しい気持ちもしましたが、仕方がないと思ってました。それを実現するために必要な技術、仲間、場所のほとんどが、そのときの私にはなかったのだから。

でも、こんなメールの数々が、H.O.Wの未来を作ってくれたんです。

「結婚式場で働いていたプランナーです。会場の形やパッケージに捕らわれず、もっと自由に新郎新婦の想いに応えたいと思っていました。プランナーとしてプロジェクトに関われる機会があれば参加したいです」という現役のプランナーやプランナー経験者。

「もっと地元の仕事をしてみたいので、住んでいる地域で開催するなら手伝いたい」というカメラマンなどのクリエイターたち。

「地域の人との関わりを増やしたい」というレストランなど地元店舗の事業者さん。

「自分たちもいつかこんなウエディングをしてみたいけど、アウトドアウエディングに行ったことも見たこともない。だから見に行きたい」という、これから挙式を考える既婚未婚のカップルたち。

アウトドアウェディングを実現するために必要な技術、仲間が、H.O.Wを見て、ストーリーに共感し、集まってくる。もちろん、分かりやすくビジネス的な営業メールも多かったけれど、地元のためなら利益は二の次で参加したいと言ってくれる方も多く、その人たちと少しずつ連絡を取り合うようになりました。

そして、集まった仲間たちとチームを組み、2010年の夏から、私たちはいくつかのアウトドアウエディングを開催し始めます。

2012年、松戸。江戸川河川敷を舞台に(撮影:さいとうちさと)

会場となる場所からの声

それまでの本職が編集者なのだから当たり前だけど、記事のアウトプットは、時間をかけてクオリティにこだわりました。プロモーション予算はなくとも、SNSで「アウトドアウエディング」という価値観を発信。そして、実験的に開催したアウトドアウエディングの既成事実をストーリーにしてH.O.Wサイト上でアウトプットすることで、潜在していたニーズを可視化しました。

すると、「うちの地域にこんな空間があって、利用活性が課題なんだけど、アウトドアウエディングに利用できないだろうか」という声が地域でまちづくりに取り組む人たちから上がってきます。

なかでも、最初に公共空間での開催に声を上げてくれた松戸市での開催は大きかったです。手を差し伸べてくれたのは、まちづクリエイティブ代表の寺井元一さん。寺井さんのサポートのもと、初めて公共空間でのオフィシャルなアウトドアウエディング開催が実現しました。地域が誇る空間を使い、地域のクリエイターやプレイヤーと一緒に演出を企画し、地域の料理家が地域の食材を使って、松戸在住の新郎新婦のために料理を振る舞う。200人にもなった当日のゲストのうち、半数以上は、松戸に初めて来るという人たちでした。地元の人にも喜んでもらえたと思います。

いまでこそ、「アウトドアウエディング」というコンテンツを背負って、年中地方講演やレクチャーに出かけているのですが、「アウトドアウエディングは、地域の魅力を詰め込んで発信できるローカルイベントだ」とはっきりと気がついたのは、このときからでした。

新郎新婦へのウエディング開催サポートサービスを行って収益を上げられるようになり、開催実績は北海道から九州までに広がりました。そして、現在H.O.Wサイト部門はプラットフォームやアーカイブとして、プランニング部門は地域ごとのモデルづくりとその立ち上げを専門的に行う、というように、分業体制も整いました。

事業としてはスロースタートで、ひとつまみで摘まれてしまいそうなプロジェクトの芽だったけれど、描いている未来図を伝え、仲間を集め、チームでの認識共有を深めるために、いつも中心にあったのがウェブサイトというメディアでした。さらにその輪を広げ、リアクションをリアルな手応えとして届けてくれ、私たちをいつもワクワクさせてくれたのがSNSでした。

こうして、メディアが等身大のアイデアを最大化し、地域の人や自分らしい結婚式を開催したいカップルの潜在的なニーズを可視化して、気がつけば地域ごとに花を咲かせるウェディング事業が誕生しました。

【後編に続く】

マップ

ライタープロフィール

柿原優紀(Yuuki Kakihara)

1982年生まれ、大阪・神戸育ち。英国Glasgow芸術大学を経て、京都精華大学芸術学部デザイン学科卒業。 出版社にて書籍や雑誌編集に携わり国内外の取材活動を行う。その後、渋谷区富ヶ谷にて編集事務所を設立。同時に「Happy Outdoor Wedding」を立ち上げ、D.I.Y.の力を地域空間や資源に結びつける結婚式の仕組みづくりを全国各地でおこなっている。tarakusa株式会社 代表取締役。

記事の一覧を見る

関連記事

コラム一覧へ