その死体に萌えるものーー二項対立を接続する「非当事者」の役割

2021.3.13 桜井 祐

新刊『新世代エディターズファイル 越境する編集ーデジタルからコミュニティ、行政まで』(BNN)刊行を記念して、本書に掲載された共編著者のコラムを特別に全文掲載します。

「その死体に萌えるものーー二項対立を接続する「非当事者」の役割」
桜井 祐

東京を離れ福岡に来て4年あまり。編集者としてさまざまな地域のプロジェクトにディレクター的な立場で関わる中で、おぼろげながら見えてきたのが「二項対立を越えて両者を接続する媒介」としての編集者の役割だ。

英文学者の外山滋比古は、「性格を異にするもの同士は結ばれることは難し」く、「断絶を解消するには第三者的仲介の介入が必要」であり、「孤立、隔絶している個を結び合わせよう」とするのが、ミドルマン=編集者だと論じた ★1。

ではなぜ編集者は、本来なら混乱を招きかねない対立を越え、両者を接続することが可能なのか。「民間と行政」「プラグマティズムとアカデミズム」など、地方が直面する二項対立はさまざまだが、本稿では特に根深い例として「地方と東京」をあげ、その中で編集者がどう機能するのかについて見ていこう。

地域ブランディングのジレンマ

そもそもある国の中のある地域を指し、転じて首都などの大都市に対してそれ以外の土地の総称として使われる「地方」。ただ、内閣府では東京圏以外(東京圏の条件不利地域を有する市町村を含む)を地方と定義している ★2 こともあり、地方といえばもっぱら東京に対置する概念として使用される。

そうした語用の影響もあるのだろう。地方とひとくくりにされる地域には、本来、多種多様な文化が存在しているにも関わらず、その文化のもつ価値を他所へ伝えようとする際、東京圏との差異を訴えることばかりにとらわれてしまっている事例をよく目にする。

たしかに、圧倒的な人口を有する東京圏の耳目を集めるための初手としては機能していたかもしれない。しかし、どこの地方も同じような手法を繰り返している状況においては、結果として東京以外の他地域と自地域との差別化を困難にしてしまう。そういう意味で地方は、対東京の表層的な価値づけや二項対立の煽りを乗り越え、真に特有のアイデンティティやオリジナリティが何かについて、思考すべき時期に来ていると言える。

桜井が共同代表のTISSUE Inc.の紹介ページ(『新世代エディターズファイル』より)

土地を「情報の積層」として捉える

特定地域のアイデンティティを見つけたいなら、まず対象地域の地誌情報をメタフィジカルに捉えることからはじめてみよう。参照するのは、歴史、地理、経済、産業、交通―なんでもいい。特定の場所に“タグづけ”られた情報の積層をひとつひとつ腑分けした上で検証する。その中で織りなされるひと筋の流れを見つけることができれば、それこそが地域特有のコンテクストであり、アイデンティティの根幹をなすものだ。

オリジナリティについて知りたければ、「どちらが優れているか」に終始しがちな硬直化した対立構造を脱却し、方法論としての「対照(ふたつのものをつき合わせ、相違点を著しく際立たせること。コントラスト)」へと昇華させればいい。その際、注意しなければならないのは、表層的な違いに惑わされないことだ。規模や背景のまったく異なる地域であっても、メタフィジカルに捉え直すことで、等価に扱うことが可能になる。対照を経て、自他の異なる点、あるいは共通する点が明確になり、その連続性の中に個性は見い出される。

こうした作業は、どれも編集者が普段から行っている「編集」と地続きのものだが、さらに抽象化して捉えることで、複数地域のコンテクストを統合することも可能だ。意見や立ち位置の異なる多種のコンテンツをまとめ、統一されたひとつのメディアを構成するのと同様に、複数のコンテクストについてより大きく複合多元的なコンテクストを編み上げることで、その中に両者を包括・接続するのだ。

他者のコンテクストを扱う編集者の罪

ただ、新たなコンテクストを生み出す過程においては、必ずといっていいほど周囲の反感を買うだろう。一般的に「文脈」と訳されることの多いコンテクストだが、その意味するところを踏まえれば「物語(ナラティブ)」と言い換えることもできる。

固有の物語を有し、ともに歩んできた個々人や組織、あるいはコミュニティが、突然つくられた新たな物語に括られたとすれば、「私の人生をお前の物語の素材にするな」と反発を招くことはまちがいない。しかし、ときには強引とも言えるやり方を以て、関係する人々の視点をより高次なレベルに引き上げることで、見えてくる地平の風景はきっとそれまでと異なるものになっているはずだ。

社会主義的リアリズムを基調にした詩人として知られる谷川 雁による文章に「工作者の死体に萌えるもの」というものがある。ここにその最後の部分を引用しよう。
                       

彼等はどこからも援助を受ける見込みはない遊撃隊として、大衆の沈黙を内的に破壊し、知識人の翻訳法を拒否しなければならぬ。すなわち大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する。そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう。★3

谷川は社会主義的な観点から、相容れない大衆と知識人のあいだを行き来する偽善的存在として「工作者」の必要性を問いた。ここで「偽善」という言葉が用いられているのは示唆的だ。第三者的立場から他者のコンテクストを扱う編集者は常に当事者たり得ない。

編集者として地域のオリジナリティを発掘し、二項対立の接続を実現できるかどうかは、その偽善的な意識と行為にかかっている。

★1 外山滋比古著「ミドルマン」『新エディターシップ』(みすず書房、2009年)
★2 内閣府「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2018改訂版)について」(2018年12月)
★3 谷川 雁著「工作者の死体に萌えるもの」『谷川雁セレクションⅠ―工作者の論理と背理』(日本経済評論社、2009年)

『新世代エディターズファイル 越境する編集ーデジタルからコミュニティ、行政まで』

編著:影山裕樹、桜井 祐、石川琢也、瀬下翔太、須鼻美緒
出版社:BNN
発売日:2021年3月16日
ISBN:978-4-8025-1199-5
定価:3,400円+税
全国の書店、およびネット書店にて発売
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ライタープロフィール

桜井 祐(Yu Sakurai)

出版社などを経て2016年福岡に移住、2017年クリエイティブディレクションなどを行うTISSUE Inc.を設立。福岡デザイン専門学校非常勤講師。大阪芸術大学非常勤講師。

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