ミネシンゴさんと三根かよこさんが夫婦で営む出版社「アタシ社」。2017年の11月からマグロで有名な神奈川県・三浦市三崎に事務所を移転し、ゆっくりと地域に根をおろしながら、自分たちのスタイルでメディアづくりを続けている。
三浦にある、一風変わった本の店「本と屯」
神奈川県・三浦半島の最南端、三崎港につながる商店街の一角に「本と屯」はある。ガラスの引き戸が懐かしい昔ながらの商店で、人気漫画家である吉田戦車がイラストを描いたのれんが目を引く。
中に入ると、こじんまりとした空間に、人文書から小説、マンガ、写真集まで、目端のきいた本が並ぶ。古本屋のようにも、独立系書店のようにも見えるが、本の販売はしていない。「本と屯」は、訪れた人がコーヒーを飲んだりしながら、本との時間を楽しむスペースだ。
「僕はもと美容師なので、子供もじいちゃんばあちゃんも気軽に出入りする美容院みたいな空間をつくりたいと、昔から思っていました」
とミネシンゴさんは話す。
ミネシンゴさんは現在は編集者。デザイナーの三根かよこさんと夫婦で出版社「アタシ社」を営んでいる。逗子市でスタートしたものの、在庫が増えるなどして事務所が手狭になり、2017年11月にここ三浦に移転した。
かつては船具店だったという築90年の木造建築。2階を事務所にし、1階では本棚に眠っていた自分たちの本をまちに解放する蔵書室にした。これが「本と屯」だ。やがて長居をするお客さんのために、保健所の許可を得てコーヒーやお菓子を提供するカウンターを設置した。飲食店の多い港まちの商店街にあって、一風変わったお店といえる。
自社媒体とクライアントワークの2本柱
「アタシ社」では、定期的に自社で刊行している雑誌が2つある。ひとつは、ミネシンゴさんが編集長を務める美容文藝誌「髪とアタシ」。ファッション誌にはない独自の切り口で、全国の美容師やヘアカルチャーを取りあげている。
もうひとつは、三根かよこさんが編集長を務める30代のための新しい社会文芸誌「たたみかた」。「福島」や「男らしさ女らしさ」など、毎号テーマを設け、人物取材を通して考察を深めていく。いずれも、それぞれの“思い”を形にしたもので、全ページにわたってこだわりがにじみ出ている。
また、写真集やエッセイなど、著者をたてる書籍も年に3冊ほどのペースで発行している。
一方で「アタシ社」は、クライアントワークも行っている。出版社から雑誌の編集を任されたり、企業からオウンドメディアやPR媒体の制作を請け負ったり。「髪とアタシ」や「たたみかた」を評価して、仕事を依頼してくるクライアントもいるという。
本が売れない時代、出版業だけでは経営が厳しいことは想像に容易い。多くの出版社で、制作費削減のためにコストのかからない装丁にするなど、妥協を余儀なくしている実情がある。その点、アタシ社は自社媒体の制作のほかにクライアントワークをしていることが強みになっている。
「クライアントワークで得た収入を、自社媒体の制作にあてています。妥協せずにいいものをつくることで、自社媒体が広告となって、新たにクライアントワークが入ってくる。うまいこと連関しているんです」(三根かよこさん)
働きやすくて、しっかり稼ぐ。アタシ社の業態
自社媒体だけを見ても、赤字ではないという。雑誌には広告が入るし、各媒体の売り上げも順調だ。
「アタシ社」の流通経路は以下の4パターンがある。
・JRC:小規模出版社を専門に取引をしている取次。委託することでジュンク堂や紀伊國屋などの大型書店に流通できる。
・独立系書店:下北沢にある「B&B」や渋谷にある「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS」などが代表的。買い切りと委託のいずれかを選んでもらい直販している。
・Amazon:委託することでAmazonで販売できる。
・自社ECサイト:委託先にマージンをとられないので、100%自分たちの売り上げとなる。
「販売にはいろんな経路があった方がいい。美容院や雑貨屋にも卸すことがあります」(ミネシンゴさん)
Webおよび紙媒体の制作では、編集や執筆、撮影、デザインといった作業が発生する。アタシ社では、デザインまわりはデザイナーである三根かよこさんが担い、そのほかの作業は2人ともマルチにこなす。書店営業など出版社としての業務はミネシンゴさんが行う。
こうして二人三脚で運営しているが、実はアタシ社はミネシンゴさんひとりの合同会社で、三根かよこさんは個人事業主として、アタシ社から仕事を請け負っている。財布はひとつにはなっておらず、作業が発生するたびに互いに受発注をしている形だ。
総合的にアタシ社のチームワークは、ミネシンゴさんが経営に、三根かよこさんが制作にやや比重を置き、お互いの能力を生かし合っている印象だ。
「私がクライアントワークで稼いだ分は、一部アタシ社に入れています。そこから『たたみかた』などの制作費が私に支払われている。こっちとしてはリスクなしで好きな媒体をつくれて、販売もしてもらえるから、ありがたいです」(三根かよこさん)
地域を偏愛する作家と、その地域にある出版社
「アタシ社」は2018年5月に『南端』という写真集を発刊した。写真家である有高唯之さんが三浦に住む人々を撮影した作品集だ。
有高さんは地元の人ではないが、三浦の風土とそこに暮らす人々に魅了され、以前からポートレートを撮り続けていた。2016年に三浦で写真展をしたところ、のべ1500人ほどの人が訪れ、地元の人にとても喜ばれたという。そして、翌2017年に引っ越してきたミネシンゴさんたちと出会い、アタシ社から写真集を出版する運びとなった。
「すごくいい写真だったので、それに見合う写真集にしようと決めて、印刷も製本も赤字覚悟で高品質なものにしました。完成すると地元の人を中心に買ってくれて、商店街にある空間で写真展も開催しました。その後、三浦の市立病院でも展示をして地元の方々に多く見ていただけたと思います。訪れた人が、最近見かけなくなった知り合いを見つけて『ああ、元気そうだ』と確認したりしてて、5年後10年後、写真集の見え方がまた変わってくるだろうと想像しました。郷土資料としても、今後まちに残っていくんじゃないかな」(ミネシンゴさん)
「この本の出版をきっかけにして、写真集に写っている農家さんや漁師さんとつながりができました。新参者の私たちが、このまちで出版社を続けていくためにも、必要な作品だっと思います」(三根かよこさん)
今年の春には、三浦の本の第二弾が出版される。2001年から2011年までの10年間三崎に住んでいた作家のいしいしんじさんと本の制作を進めている。いしいしんじさんとは、三崎で知り合った編集者の紹介でつながりができたという。
「一般的に、三崎というテーマ出版することは限定的すぎて企画が通りにくい。それでも、いしいさんにとって三崎はかけがえのない場所。三崎に拠点を置いた出版社であるうちから本を出す必然性を感じました。有高さんやいしいさんのような作家は、独自の切り口でまちを盛り上げています。そのハブになれるのがメディアであり編集者の役割だと思います」(ミネシンゴさん)
地元の情報を編集する意義と難しさ
現在アタシ社では、三浦の観光や地域資源の魅力を発信するポータルサイトをオープンしようと準備中だ。
引っ越してきたばかりのとき、おいしい飲食店を探したが、ほとんどの店にホームページがなくグルメサイトを見るしかなかった。しかしグルメサイトの口コミ評価は運営側の采配で決められている部分があり、いい店なのに評価が低いところも少なくない。
また、三浦は宿もネット予約ができないところがほとんど。このままでは観光客に対して不親切だし、三浦のよさも十分に伝わらない。生活していく中で町のことをどんどん好きになり、もったいないと感じたことが、企画の始まりだった。
「三浦、三崎の観光情報を整理して、使いやすくて役に立つポータルサイトをつくれば、三浦にとっても訪れた人にとっても有意義だと思うんです」(ミネシンゴさん)
「メディアは立ち上げるだけでは継続できません。ポータルサイトでもECや広告でキャッシュポイントを設けていくつもりです。とはいえ最初は出資のつもりで、多少赤字でもよいものをつくって、2〜3年後に花が咲く形でやっていきたい」(三根かよこさん)
そんな2人に、メディアの持つ力を自覚するよう諭す人もいる。
「三浦で尊敬している先輩からは、『メディアでオススメしたものが、それを見た人にとって大きな影響を与えるかもしれないということを、どこかで自覚した方がいい』とアドバイスされています。とはいえ、私たちは行政機関ではないので、すべてが平等である義務はありません。このまちでまだ知られていない魅力があれば、多くの人に届けたいと自然に思います」(三根かよこさん)
どこかを立てれば、どこかが立たなくなる。すべての人の顔色をうかがっていたら、つくりたいものもつくれなくなる。そうした難しさと向き合いながらも、本質を忘れずに自分たちなりのローカルメディアをつくっていきたいと、2人は語る。
主体的につくられるローカルメディア
アタシ社は、最初からローカルの仕事を目的にしていたわけではなく、三浦でのさまざまな出会いや発見を経て、自然とローカルメディアをつくるようになっていった。
「そもそも、何をもってローカルメディアと呼ぶんでしょう」と、ミネシンゴさん。
「例えば行政による移住促進のパンフレットづくりをしただけでは、単なる下請けで、ローカルメディアをつくったとはいえないと思います。僕らはむしろ、行政がやらない、できないことを自発的にしていたら、結果的にローカルメディアになっていた気がします」(ミネシンゴさん)
自分たちがいる三浦をひとつのテーマにしながらも、あくまでいち出版社としてのあり方を模索、体現している2人。いちばんの原動力は、本に対する情熱、あるいはもっとプリミティブな表現する喜びなのかもしれない。
「自己満足で作品をつくっているだけでは生活できないし、かといって売れるからという理由だけで商品をつくるのは虚しい。一番は、つくりたいものをつくって、売れること。そこは諦めたくないですね」(三根かよこさん)
制作と経営の力をバランスよく兼ねるアタシ社が、三浦で日々を重ねながら、どんなメディアを生み出していくのか、今後も期待したい。