雪景色の長野でアーティスト・イン・レジデンス「アーティストの冬眠」

偶発的な出会いから地域の創造性がひらかれる

2024.12.25 友川綾子

信州といえば爽やかな「夏」のイメージ。だが、あえて観光閑散期の「冬」に、成果物を課さずに、アートに関わる人に滞在場所と交通費を提供するプログラムが「アーティストの冬眠」だ。2024年度は松本、上田、辰野町、木祖村、王滝村、南木曽の6つの宿が滞在者を受け入れた。プログラムにかかる費用は企画者と宿とが提供しているそうだ。

冷たい空気に「もてなされる」

今年の始めにFacebookのタイムラインを眺めていたら、友人で国際舞台でも活躍する映画監督の深田隆之さんが、「一風変わったアーティスト・イン・レジデンスの公募がスタートしたので、興味のある人はどうか」と、友人知人に応募を促していた。どうやら彼自身も1年前に参加したようだった。固有の場所を構えずに現代アートを紹介する gallery ayatsumugiを運営する私は、興味を抱いて募集要項を見てみた。すると、そこにはこう書かれていた。

「冬の信州での滞在を通して、春に向かって英気を養いたい。

・・という、アートに関わる方に“冬眠”の機会を提供します。(原文ママ)」

一般的なアーティスト・イン・レジデンスとは、アーティストに滞在費と制作費及び滞在・制作場所を提供し、アーティストはその対価として、滞在期間の後半に作品展示や地域向けのワークショップなどを行うというものだ。近年では、アーティストに限らず、デザイナーやライターなどのクリエイターやアートプロジェクトのマネージャーなどにも門戸を開いている地域もある。

「アーティストの冬眠」も同様に、滞在場所と往復交通費を支給してくれる。しかし、制作費がつかない代わりに、展示などの何らかの成果物のアウトプットをする必要がなく、報告書さえ求められていない。期間中、その地域でどう過ごすかは、滞在者に委ねられる。そんな贅沢なことがあっていいんだろうかと不思議に思いながら、応募をして、2月初旬の5日間を松本の〈栞日INN〉で過ごした。

実際に滞在した印象として、今も繰り返し思い出すのは、目覚めた朝、石油ストーブで部屋が暖まるのを待ち、布団にくるまりながら、曇り空を眺めていたこと。ブックカフェ〈栞日〉の2階で、本を読みながら焼きたてのトーストとコーヒーが運ばれてくるのを待っていた時間。

〈栞日〉の朝ごはん

この5日間で、日々の忙しさによって失われていた活力が、身体の奥にじんわりと蘇っていたように思う。それとともに、子供のように無邪気に、ただただ好きなことを「あれもしたい」「これもしたい」と、楽しむ気持ちが膨らんでいった。移動日の前日に降った大雪で、松本市内にも積雪があり、まさに冬ごもりな日々であった。

「アーティストの冬眠」はなぜこんな、豊かな時間を連れてくるのだろうか。そして、それは、地域にどんなインパクトを与えうるのだろうか。このプログラムを発案した野村政之さんと、滞在場所を提供してくれた<栞日INN>オーナーの菊地さんに話を聞いてみることにした。

危機的状況で、理念を丁寧に実現

「アーティストの冬眠」を企画・運営している野村政之さんは、長野で生まれ育った。東京で大学に通い、沖縄のアーツカウンシル(アーツカウンシルとは、芸術や文化活動を支援するための組織で、一般に政府や地方自治体、または独立した非営利団体として設立・運営される)を経て、現在は信州アーツカウンシルに勤めている。いわば地域の文化政策のプロフェッショナルである。

文化芸術事業に携わる人にとって、2020年度に文化庁が「文化芸術活動の継続支援事業」を実施したことはまだ記憶に新しいだろう。新型コロナウィルスで活動休止を余儀なくされた文化芸術関係者・団体に対しての救済措置としての補助事業である。この補助金の活用方法を、野村さんの視点で落とし込んだのが「アーティストの冬眠」なのである。

もともと、野村さんは「長野県内でアーティスト・イン・レジデンスをやりたい」と構想を練り、方々で人に話して意見を聞いていたそうだ。県内のアートに関心の高い宿泊施設とはすでにネットワークがあった。この機会にレジデンスができれば、コロナ禍で客足が途絶えていた宿と、公演や展覧会開催ができないアーティストの双方にあらたな機会を創出し、地域になんらかの恩恵をもたらすことができる。「三方よし」を実現する狙いがあった。

野村さんが企画に協力してくれそうな宿泊施設に声をかけたら、二つ返事で賛同してくれた。アーティストはFacebook上で公募。初年度には写真家・登山家の石川直樹さんをはじめ、40組が参加することになった。野村さんは宿とアーティストとのブッキングを一人で行っていたそうだ。

「アーティストの冬眠」を企画・運営している野村政之さん

「来てくれた40組すべての方に滞在期間中に会いにいきました。(企画したからには)自分が責任をとるぞという気持ちと、こうして関わりを持てたのだから、今後もこの関わりを何らかの形でつなげていきたいという想いがありました」(野村さん)

企画の立ち上げ時にこそ補助金があったが、2年目からは予算がなく、宿泊費は宿が、交通費は野村さんがそれぞれ負担をして、プログラムは今年2024年まで順調に継続実施している。

「今年はやらないんですか? と、望まれるようになったので、毎年実施をしている状態です。参加をしてくれる宿の方々にとっても、普段の仕事では得られない出会いを前提に受け入れてくれていて、『ガチャポンな出会い』には、受け入れた側も新しい体験があるんですよね。僕にとっても、会いたいなと思う人に、自分が交通費を払って会いに行くのか、来ていただくための交通費をお支払いするのかという違いでしかないんです」(野村さん)

多くの人が目的中毒だから

特徴的なプログラム名称「冬眠」には、野村さんの哲学を感じることができる。

「目的のない状況をうまくつくれるようにしたかったんです。一方でわかりやすさも大切ですから、アーティスト・イン・なんとかという名称がいいなと。バカンスみたいなニュアンスがよく、そこで閃いたのがハイバーネーション(冬眠)でした」(野村さん)

東京と沖縄で暮らした経験を持つ野村さん。故郷である長野の冬の魅力に気がついていた。雪が多く寒い信州の冬は、いわば充電期間。春から秋は自然の移ろいに合わせなければならないけれど、稲の収穫も終わって霜が降りる頃になると、自然の動向が静かになる。この期間に人々は勉強をしたりものづくりに勤しむ。まるで、活動の回転数が下がったかのような冬独特の時間の流れの中で、人々は次の季節への力を蓄えるのだ。こうした地域の特徴と、目的なく過ごしてほしいというコンセプトに、「冬眠」という言葉がぴたりとはまった。

滞在中に訪れた、雪をかぶった松本城

しかし、プロジェクトに目標設定が欠かせないのは世の常識。逆行して、プロジェクトから目的意識をそっと取り除く努力をしているのには、一体どんな理由があるのだろうか。

「自分も含めて目的中毒だと思うんです。行政で働き始めて、より一層そう思います。公共事業で予算を獲得するためには、事前に目的やプロセスを細かに描く必要があります。けれど、そうなると新しい発見や予期せぬ出会いがなくなってしまうんですよね。目的から自由になり、変に最初から計画や動機づけられていない出会いを、地域の人にも参加者にも体験してほしいなと」(野村さん)

 

世界のとらえ方に違う回路が生まれる

私が実際に滞在させてもらった〈栞日INN〉は、2度目の冬から「アーティストの冬眠」に参加している。独立系出版物を扱うブックカフェ〈栞日〉が経営する宿泊施設で、経営者の菊地徹さんは、大学時代のスターバックスでのアルバイトをきっかけに、ローカルに根ざした事業にやりがいを感じ、創業から12年、松本で活動を続けてきた。

菊地さんが「アーティストの冬眠」を知ったのは、野村さんのFacebook投稿だった。「面白い」と感じて〈栞日INN〉としての参加を、自ら申し出たそうだ。

〈栞日INN〉の入り口看板

「栞日では、地域の写真家との出会いをきっかけにギャラリーをはじめ、福祉施設で生まれた作品なども展示しています。ギャラリーをきっかけに、アーティストとダイレクトにコミニケーションすることが楽しみになりました。松本で、アーティストの作品に触れることで、文化・芸術の街という実感を、地元の人がもっと感じられるようになるといいなと思います」(菊池さん)

街の日常の中に、創作活動や若さのエネルギーがもたらされることで、地元の人の街に対する新たな愛着が生まれることを期待しているのだろう。菊池さんはアーティストが街に滞在することにともなう街の変化に興味があり、ちょうど、いくつかの街の事例を調べて、アートやアーティストという存在に理解を進めていたタイミングだったそうだ。

「台湾や国内の事例を見ていると、アーティストが地域の特性や資源を再発見しているんですよね。街の人にとっても自分たちの暮らす地域の足元に気がつくきっかけになるのがいいなと思っています」(菊池さん)

「アーティストの冬眠」の場合、アーティストは必ずしも制作活動を行うわけではないのだが、滞在するアーティストとの係わりで、「何か気がつくことが、ひとつ、ふたつとある」と菊池さんはいいます。普段から創作活動を行う人独特の世界に向けた視点が、話の端々から感じられるのが魅力なのだという。もともと営業が厳しい冬の時期、予約が空いている期間の空間や時間の使い方としては、十分に旨味があるというのである。

〈栞日〉オーナーの菊地透さん
滞在中、2020年に栞日が運営継承した地域の銭湯「菊の湯」に通わせてもらった

「冬眠企画はなおのこと、冬眠しに来た人と宿主という関係性で出会うわけですが、人対人のコミニケーションが自然に起こるんです。目的やミッションがないし、こちらも宿代を払ってもらう通常のお客様のように対応しなくていいから、お互いに肩の力が抜けた、脱力モードで話せる良さがあって。アーティストとして創作を目的に滞在していたら、もっと研ぎ澄まされた精神状態でいるでしょうから、こうはなりませんよね」(菊池さん)

菊池さんは今後、宿同士が「アーティストの冬眠」を通じて情報交換をしたりといった、ゆるいコミニケーションが発生することにも期待を滲ませていた。忙しい観光シーズンではできない、普段とは異なる関わりや地域での交流の回路が発生することに、地域をひらく可能性を感じているようだった。

もちろん、補助金が活用できなくなり、宿泊費が捻出できなくなった段階でプログラムから離れた宿泊施設も多いときく。こうして有志で参加をしてくれる宿泊施設があるから、「アーティストの冬眠」が続いているのである。

 

創造性の英気を養うことで何かがはじまる

まだ半袖で過ごしていた今年の秋のはじめのこと。「アーティストの冬眠」に参加をするきっかけになった友人の映画監督・深田隆之さんが、Facebookにこう投稿していた。

「現在、長野県木曽地方で新たな映画を制作するために少しずつですが動き出しています。「アーティストの冬眠」という企画でアーティスト・イン・レジデンスで滞在したことをきっかけに何度か取材で訪れていますが、木曽はとても奥深い土地です。(原文ママ)」

彼自身の誠実な人柄と返報性の法則とがエンゲージをしたのか、長野との出会いがクリエイティブなプロジェクトに形を変え、静かに動き出していたのである。言葉にしてしまうと無粋だが、もしも、当初から、国際的に活躍する若手映画監督に、信州で映画制作をしてもらうことを目的に掲げてプログラムを組んでいたとしたら、予算も労力も倍では済まない。

木曽での映画制作企画はこの冬、ショート映画制作支援プログラム「TRIPLEX」に選出され、映画化が決定した。アーティストや地域の方々の内発的な動機で、新たな展開がうまれているのである。それにきっと、これは私がたまたま知り得た波及効果の一例にすぎないだろう。

映画監督の深田隆之さんは、2024年9月に近隣住民の方々に向けて映画撮影を体験するワークショップを開催。木曽地域での交流と活動をゆっくり進めている。

米国の作家、ジュリア・キャメロン氏の世界的大ベストセラーで『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』という書籍がある。この著書の中では、週に一度、自分の中の子供を楽しませるように好きなことをする時間「アーティスト・デート」を勧めている。その時間が「クリエイティビティのための燃料補給」になるからだ。

「アーティストの冬眠」の面白いところは、アーティストに年単位の「アーティスト・デート」(研究者に例えるとサバティカル)の機会を与えつつ、地域にクリエイティブな刺激を呼び込んでいることである。

人と人との、さりげない出会いから「何か」が生まれるのは、世の常。地域をより面白くしようと、人知れずに、そんな場を守っている人も多いだろう。出会いを、デザインしているようで、しすぎない、「アーティストの冬眠」のあり方は、観光閑散期の地域資源の面白い活用の仕方としても参考にしてもらいたい。

マップ

アーティストの冬眠
長野県内で実施しているアーティスト・イン・レジデンス プログラム。2020年度の文化芸術活動の継続支援事業をきっかけに企画。支援事業終了後も、長野県内各所の宿と主宰者が、それぞれ参加者の宿泊費と交通費を負担する形でプログラムを継続し、クリエイティブな波及効果を地域にもたらしている。

プロフィール

野村政之
1978年長野県生まれ。信州アーツカウンシル((一財)長野県文化振興事業団)ゼネラルコーディネーター。制作者、ドラマトゥルク、コーディネーターなどの役割で、舞台芸術の創作現場と芸術文化支援に並行して関わる。長野県内の公共ホール、東京の小劇場での活動、沖縄アーツカウンシル、長野県庁などを経て、2022年4月より現職。


菊地徹
1986年静岡生まれ。旅館、ベーカリー勤務を経て、2013年松本市街で独立系出版物を扱う書店兼喫茶〈栞日〉を開業。2016年現店舗に移転し、旧店舗で中長期滞在型の宿〈栞日INN〉を開設。2020年本店向かいの銭湯〈菊の湯〉を運営継承。同年法人化、代表取締役就任。2023年松本市議会議員選挙で初当選。

ライタープロフィール

友川綾子(Ayako Tomokawa)

京都芸術大学卒。ギャラリー勤務、3331 Arts Chiyoda立ち上げなどを経て、2010年よりフリーランスのアートライターに。以降は行政や市民と協働するアートプロジェクトをフィールドに活動。2017年よりNPOスローレーベルにて広報とファンドレイジングを担当。福祉とアートの分野を超えたプロジェクトの知見を蓄える。2021年6月、アートプロジェクトで豊かに育つアートの価値をマーケットの評価にもつなぐため gallery ayatsumugi を設立。​
美しいとは、五感が気持ちよいこと。著書『世界の現代アートを旅する』。

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