福島県いわき市の小名浜という港町で、ライターや編集、イベントの企画などを行なっている小松理虔です。フリーランスの立場で、地元の生産者や中小企業の広報業務を支援する仕事をしています。オウンドメディアの運営から、SNSの投稿・管理、ポップやビラの制作など、情報発信や広報のあれこを地域の生産者や中小企業の皆さんと行なっています。
本業以外にも、地元の商店街でUDOK.というオルタナティブスペースを運営したり、福島第一原子力発電所の沖で「釣り」をメインにした海洋調査ラボを企画したり、地元の鮮魚店とコラボした食のイベントを企画したりと、いわゆる「地域づくり」的な活動も広く行なっています。ローカルメディアと地域づくりを両方やっている、と説明すれば、少しわかりやすいでしょうか。今回はその実例をご紹介しながら、ローカルメディアの役割を考えていきます。
小名浜での実践
僕の住む小名浜地区は、人口5万ほどの港町。製造業や水産業が盛んです。小名浜地区を含むいわき市全体になると人口は34万人ほど。合併を繰り返してきた地域なので、だだっ広く大都市感はありませんが、人口規模でいうと東北では仙台についで2番目に大きい都市です。
大学卒業後、地元のローカルテレビ局の記者を3年間勤め、その後、中国の上海に移住して日本語情報誌の編集記者をしていました。テレビ時代はローカルでの情報発信にモチベーションを見出せずに上海に移住したのですが、上海では、グローバル都市としての魅力ではなく、むしろ路傍の人たちや風景など、上海の地元の暮らしに魅了され、次第に「地元でもローカルに密着したメディアをやりたい」と志すようになり、2009年に帰国しました。
帰国後すぐに立ち上げたのが「TETOTE ONAHAMA」というウェブマガジンです。これで食べていこうというつもりは全くなく、完全に個人の趣味的な活動として始めたものです。地元の小名浜で活躍している人たちの声を紹介するとともに、エッセーやインタビュー記事、風景写真などを掲載しました。よくあるローカルメディアらしいメディアです。
インタビューをすると、相手との距離が縮まりますよね。すると、「こんなことがやりたい」とか、反対に「こんなことが辛い」とか、夢や生きづらさを共有できるようになる。それで、取材で出会った友人と「どこかみんなで集まれる場所があるといいね」という話になり、2011年、UDOK.というスペースを立ち上げました。メディアを作ると人が繋がってコミュニティができる、ということを改めて認識した出来事でした。
その後しばらくはスペースを運営しつつサラリーマン生活を続けていましたが、2012年から地元のかまぼこメーカーの広報職に転職し、急速に地域の「食」の世界にのめり込んでいくことになります。そこで痛感したのが、地域の生産者の情報発信力強化の必要性でした。みなさん本当にいい商品を作っているのに、人手が足りず、情報発信やPRにまで手が回らないんです。そこで、地元の中小企業や生産者の広報や営業を支援することを目的に2015年に独立し、現在に至ります。
独立後すぐに、障害者の就労以降支援事業所を運営する「ソーシャルデザインワークス」というNPOが運営するオウンドメディア「GOCHAMAZE TIMES」の立ち上げに関わりました。同法人が掲げる「ごちゃまぜ」という理念を伝えていくために制作されたもので、法人の企画やスタッフの声を紹介するとともに、障害福祉に関わる人へのインタビューを行って、当事者目線から「ごちゃまぜ」の価値観を発信しています。
このメディアの制作で面白かったのは、僕自身が障害福祉に目覚めてしまったことです。取材をするうちに、障害を持ちながら就労を目指す人の熱意に触れ、福祉の面白さや、多様性の重要さについて考えるようになりました。この体験は、その後の僕の活動にも大きく影響することになります。対象と距離を置いて記者的に関わるのではなく、むしろ対象者とゼロ距離で関わりながら、自分の実感や経験も含め、当事者として情報発信をすることの強さを実感したんです。
今年9月にリリースされた、いわき市役所の「地域包括ケア推進課」が制作する「いごく」というウェブマガジンも紹介しておきましょう。このメディアは、高齢者の集う集会所や、超絶元気な高齢者、医療福祉関係者などを取材し、インタビューやレビュー、コラムを掲載するメディアです。ここでも僕は巻き込まれています。僕はもちろん高齢者ではありませんが、いずれ後期高齢者になる父や母がいるという立場では当事者です。外注的に仕事を任される立場ではなく、当事者として考え、取材し、発信する。そのスタイルは、この「いごく」への参加で、より強くなってきました。
僕のスタイルは、メディア制作を通じて、その課題に巻き込まれながら、悩み、取材し、行動する、それそのものを記事化して発信していくというものです。食だって観光系だって、ローカル企業のPRだって同じです。僕自身が食べ、僕自身が商品やサービスとともに暮らす。その様を発信しながら、読者とコミュニティを作り、場を企画したりして、そのプロセス自体を楽しんでしまうわけです。
自治体発の「官製ローカルメディア」の活況
昨今、地方自治体発のメディアが増えています。福島県でも、特に震災と原発事故後、様々なローカルメディアが作られてきました。食のPRや風評被害の払拭を目的としたもの。子育て関連の情報を発信するもの。外から移住者を募るメディアもあれば、観光スポットを紹介するようなメディアもあります。
自治体との協働で無視できないのが「助成金」の存在です。ローカルメディアの多くが、自治体の助成金の切れる「3年」を契機に止まってしまうのです。受注した業者や書き手にとっては、仕事が生まれて収入に繋がればいいのかもしれないし、自治体も予算が適切に「消化」されればいいのかもしれません。しかし、そんなことを繰り返してきたせいで、地域は魅力を失い、コミュニティは分断され、中央への依存を余儀なくされている面があると感じています。
そのような時代にあって、ローカルメディアの作り手に求められるのは「地域の担い手」としての役割です。その地域に根を張り、そこに暮らす人間として、まさにゼロ距離で自ら企画を作り、地域や企業の活動に巻き込まれながら、メディアを世に出し、コミュニティを形づくっていくという存在。取材だけで終わりにせず、対象者と一緒に新たな企画を立ち上げてみたり、課題を解決するための活動を始められる人が求められていると感じます。
僕もその辺りは試行錯誤していて、例えば、世の中の「パパ像」とのギャップに悩んでいる子育て中の父親たちの弱音を吐くイベントを開いたり、鮮魚店で福島県産の魚と地酒を楽しむイベントを企画したり、自分の置かれている立場や興味関心から出発し、自分の暮らしに引き寄せながら企画を立て、その様をメディアを通じて世に問う、そのプロセス自体をまるごと楽しむように心がけています。ローカルメディアの担い手は、いつだってアクティビストであるべきです。
価値を交換することで、収入を多様化する
メディア制作以外にも、ローカル企業の広報業務を引き受けることも多いです。パンフレットやポップを作ったり、SNSを運用したり、販促のためのイベントを企画したり。情報発信や広報に力を入れたいというローカル企業は少なくありません。今はそうした企業から、月額いくらいくらという契約を結んで広報業務を外注して頂いています。
なかには、現金を支払うのがキツいので現物支給で、というところもあります。最近では、僕のほうから「現物で」と提案するところも出てきています。地元の鮮魚店の広報をお手伝いした時には、報酬を干物や刺身で支払ってもらいましたし、インタビュー記事を掲載した理容店の店主が、広告料だといってしばらく「特別価格」で髪を切ってくれたこともあります。地方では、現金ではなく、それぞれが提供する「価値」を交換し合うことで仕事を回していくことが少なくありません。
しかもこの価値の交換、交換しただけで終わらないのがいいんです。例えば、鮮魚店のPRを手伝い、その報酬としてお刺身をもらったとする。その刺身を食べる時にちゃんとスタイリングをしたうえで写真撮影し、SNSで投稿してしまうわけです。鮮魚店のブランディングや発信力向上にも繋がりますし、おいしい刺身を食べられるわけですから一石二鳥です。その写真を使って写真集やポップを作ってもいいでしょう。形の残るものを創作できれば、それが今度は自分にとっての広告媒体になります。「うちもお願いしたい」なんて声がかかるかもしれません。
田舎の中小企業には、ひと月に何十万円も払って広報担当を雇い入れるだけの余力がありません。でも、数万円なら広報費用として捻出できるという会社はあるんです。だから、複数の会社から数万円ずつ頂いて、複数の収入源を持てばいいわけです。独立のハードルも下がりますし、収入源を複数持つことは、いざというときの備えにもなります。
多くの人たちから少しずつ報酬を頂く。それは、人と人とのつながりのなかで生きるということでもあります。少しずつ人の輪が広がり、それにつれて仕事も自分の食い扶持も少しずつ広がっていくんです。決して大金持ちになれるわけではありませんが、最低限の収入があり、おいしいものをお裾分けしてもらえ、自分の暮らしを楽しみながら課題に接して、コミュニティを作っていくことができる。それこそ、ローカルメディアを担うことの醍醐味なのだろうと思います。
文化や資本の収奪に抗うために
地方には、生み出している価値は大きいのに、広報力がまだまだ弱いため世間にあまり認知されていないという企業やサービス、商品が数多く眠っています。都市部の企業の下請け的な役割に徹する企業が多かったためです。こうした業態では、広報やPRに力を入れる必要はありません。出荷すれば、あとはメーカーや販売店がやってくれるからです。黙々とモノを供給し続けること。それが地方の製造業の誇りでした。
ただ、その「もの言わぬ供給地としての誇り」も、固定化してしまうと中央への依存が常態化し、自らの価値に気づけなくなってしまいます。本来は価値があり、顧客を増やせる可能性もあるのに、中央のメーカーや市場に不当に買い叩かれ、あたかも魅力がないかのように生産者のほうが思い込んでしまうんです。平田オリザさんの言う「文化の自己決定能力」の欠如ともいえるかもしれません。
今地方で流行している「六次化」もそうかもしれません。農業本来の儲けが確保されていないのに、加工やらデザインやら流通やら、農家が全部引き受けざるを得なくなっています。国や自治体から補助金が出るから入りやすいというのもあるのだろうと思いますが、どこもかしこもジャムやドレッシングばかり。苦労して作った産品も、高い金を払って中央の販売店にマージンを取られたり、補助金の多くをコンサルタントやアドバイザーに取られてしまうケースも多いようです。それは形を変えた「中央による文化の収奪」といえるかもません。
それに抗うのが、ローカルメディアの役割だと僕は考えています。メディアを通じてコミュニティが生まれ、生産者や中小企業が自らの力に気づき、コミュニティのなかで、サービスや商品に磨きをかけていく。まさに、「文化の自己決定能力」を高めるためにこそローカルメディアは存在しているのではないでしょうか。
資本の力によって動かされていく時代にあって、ローカルには、資本に左右されない非経済の豊かさがあります。しかしそのような豊かさも、そこに暮らす人たちに文化の自己決定能力がなければ、容易に中央に収奪されてしまう。だからこそ、私たちは、ローカルメディアを通じて地域の文化の自己決定能力を高める「担い手」として、ゼロ距離で地域と関わっていくべきだと考えています。
もちろん、メディアの中身は、楽しさや面白さ、美味しさといったポジティブな動機に引っかかるような言葉を選びますが、仕事の態度は、観察者、傍観者ではなく、ある種、抵抗の当事者として旗を振り続ける。そういう作り手であり続けたいと思います。