ローカルメディアの流行
2016年に『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)を上梓して以来、各地で「ローカル」にまつわるトークイベント、講演会、ワークショップに呼ばれる機会が増えました。
そのたびに、地元の人とお酒を呑みながらいろいろな話をするのですが、よく、「ローカルメディアは地域再生に役立つのですか?」と聞かれることがあります。答えはノー。高齢化やシャッター商店街など目に見える課題のある地域を元気にするために、まずはじめにすべきことはなんでしょうか。補助金を活用してポスターやフリーペーパーをつくること? いや、そんなことをする前に、もっと根本的な問題を解決しなくてはいけないんじゃないでしょうか。
何か「ローカルメディア」という言葉がマジックワードになってきてしまっている……ローカルメディアという名を冠す本を出した自分にも少なからず責任はあるかもしれない。そう考えるようになりました。この状況は、いま全国各地で流行している「芸術祭ブーム」にも似ています。
「どこどこの地域で成功しているから、うちもやってみよう」と、右も左もわからず次々と予算化し、取り返しのつかない競争に駆り立てられる地方自治体が増えて行くことに、危機感を感じることもあります。
なんというか、目的と手段がひっくり返ってしまっている。
立ち上げたはいいが翌年からまったく更新されない「廃墟メディア」が増え、奇をてらった紙媒体が埃をかぶったままどこかの倉庫に積み上がっていく。
元祖地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の森まゆみさんは著書の中でこう語っていました。
「送り手と受け手に互換性があり、情報が双方向に行き来すること。私たちの雑誌は、まさにそのためのメディア(乗り物)であればよい。ふつうの町の人が次々登場して、自分の意見や人生、知ってることを語ればいい。そんなふつうの人の生き死にを記録するお手伝い、産婆役に徹したい」(森まゆみ『小さな雑誌で町づくり「谷根千」の冒険』晶文社、1991)
全国のローカルメディアのつくり手たちに取材するなかで気づいたのは、メディアとは、単に情報をつくり手→読者へ一方的に届けるだけではなく、相互に活発に交流し、人と人がつながる「手段」となった瞬間に本領を発揮している、ということでした。なぜならローカルメディアは、となりの魚屋さんが読んでいたりするくらい、つくり手と読者の距離が近いからです。
なぜメディアをつくる必要があるのか
そういう、距離の近い、限られたコミュニティで情報を交換しあうのがローカルメディアの醍醐味です。
住人の9割がお年寄りの町で、おしゃれなフリーペーパーをつくる意味はあるのでしょうか。スマホを使える人がほとんどいない地域で、スマホアプリを通して情報を受け取るメディアをつくる必要があるのでしょうか。
お金をかけて東京からクリエイターを呼べば、それなりにいいものは出来上がります。しかし、地方ではメディアをつくってもそれを流通させる場所がありません。読者もいない。
もういちど自問自答してみましょう。「なぜメディアをつくる必要があるのか」。本当に、コンビニに並んでいるようなカルチャー誌がつくりたかったのでしょうか? 本来は、差し迫った地域固有の課題を解決するために、「メディアづくり」という手段を選んだのではなかったか。
新しくメディアを立ち上げる場合、東京から発信されるメディアを参照するのではなく、その地域でしかできない発信の仕方=届け方を考える必要があります。汎用性のあるメソッドはなかなか見当たりません。山深い地域でつくるメディアの方法は、離島では役に立たないでしょう。雪国でつくられるメディアの方法が、南国で役に立つわけがありません。
でも、そんなことを言っていては元も子もありません。地域課題の解決にメディアという方法を選ぶ人は確実に増えています。そんな人たちに向けて、様々な”ローカル”で役立つメディアづくりや編集のメソッドを提供したい。そして、各地で様々なメディアづくりを実践しているプレイヤーとのネットワークをつくりたい。こうした想いから、「EDIT LOCAL」は立ち上がりました。
ローカルメディアとマスメディア
不特定多数の読者・視聴者に一方的に情報を届けるマスメディアが衰退し、書店の数が減り続け、取次を通し全国に均一に配本される出版流通の仕組みが岐路に立たされている今、ローカルからの情報発信が相対的に目立ってきています。マスメディアが流さない情報が、ローカルメディアから発信され、それがSNSを通して全世界に拡散していく。一方、ローカルな情報がローカルな住人たちの間で活発に交換され、ひとつのコミュニティを形成する例も増えています。
地元のささいなニュースを、東京や世界じゅうに無理やり喧伝する必要はありません。向かいの一軒家に若い夫婦が移住してきた、とか、あそこの総菜屋の息子がバーを始めたとか、そういうニュースは、地元の人にとっては重要ですが、よその人にとっては取るに足らない情報です。
そういう情報はきっと、マスメディアで取り上げられることはないでしょう。でも、親戚の動静や、国道沿いのスナックのママが再婚したニュースのほうが、遠いところで芸能人が不倫したニュースなんかよりもずっと、地元の人にとっては有用な情報です。
まるで回覧板や井戸端会議のように、同じ地域に住む人々が、同じ地域の情報を交換しあうこと。同じ場所に住んでいるけれど、地域には世代もバックグラウンドも異なる様々なコミュニティが存在します。メディアは、その地域の危機的な状況を改善するためには役立たないけれど、これまで出会ってこなかった「異なるコミュニティ」をつなぐ手段にはなりうる、と僕は思っています。
異なるコミュニティをつなぐ、メディアのかたち
インバウンド、移住支援などの名目で、自治体によって様々なメディアが生み出されています。そして、判型や部数、配布箇所までガチガチに決められた状態で入札案件になっている場合が多い。しかし、ローカルメディアはコンテンツではなく「メディアのかたち」を考えるところから始めるべきです。流通の仕方、判型、部数、目的。
入札の公示を出す前に、一旦よそ者と地元の人が集まる機会をつくり、腹を割って話し合ってみてはどうでしょうか。みんなで話し合ったら、「メディアなんてつくらなくていい」という結論になるかもしれません。それはそれで潔いと思います。そこで、もう一回、「なぜメディアが必要だと思ったのか」を考え直す。
たとえば、高齢化や空き家が問題の古い団地があるとする。そこには一人暮らしのお年寄りが多く、なかなか部屋から出てこない。そこに、若者が足繁く通う仕組みをつくる。昔からある「回覧板」というメディアを、若者も参加しやすい新しい回覧板にリニューアルしてみたら、お年寄りと若者が活発に交流するようになるかもしれない。
また、狭義のメディア、つまり情報を一方的に届ける「情報発信媒体」としてメディアをとらえるのではなく、地域の人と人がつながる「乗り物」としてとらえると、電車やバスなど、ふだん使っている公共交通機関も「メディア」になりうる、と考えることもできる。
シャッターが目立つ中心市街地をどうにかしたいなら、あえてシャッターを有効利用するイベントやツール(メディア)を開発してみたらどうか。または、地域にもともとある掲示板というインフラも、上手く使えば面白いことができそうです。
地元の一次産業を盛り上げたいなら、地域の食材と生産者のファンを生み出す「食べる通信」のような「食べ物付き情報誌」をつくってみてはどうか。
または、NPO法人 本と温泉が試みているように、あえて全国の本屋さんで売らない、という選択をすることで、本が新しい観光客を呼び込む「お土産」になったりもします。
雑誌やフリーペーパー、ニュースサイトなどあらかじめフォーマットが決まったメディアの「コンテンツ」を考えるのではなく、ユニークなローカルメディアをつくるこうしたクリエイターの先例に学び、場合によってはタッグを組んで共に「メディアのかたち」そのものを考え直したほうが、よっぽど地域のためのメディアをつくれるのではないでしょうか。
アウトプットではなく、プロセス。
僕は最近、京都にある劇場・ロームシアター京都が主催するプロジェクト「まちの見方を180度変えるローカルメディアづくり〜CIRCULATION KYOTO(サーキュレーション キョウト)」のプロジェクト・ディレクターを務めています。これは、京都市内の5つの区に分かれた5つのチームが、それぞれの地域にふさわしいローカルメディアをつくるワークショップです。
まさにここでは、メディアの概念を拡張して考えています。通常、多くの人がイメージするフリーペーパーやウェブマガジンなどのメディアではなく、電車、バス、スマホアプリ……などなど、異なるコミュニティをつなぐ「乗り物」としてのメディアをみんなで考えています。
来年にはそれぞれの地域で5つのローカルメディアが立ち上がるので、それはそれで楽しみではあるのですが、むしろ僕は、ここで生まれた5つのグループが、ワークショップが終わった後も引き続き交流を続けていくことのほうに関心があります。きっと、こういう機会がなければ出会うこともなかったでしょう。また、徹夜しながら議論を繰り返し、京都の中でもさらにローカルな地域のことを真面目に考える仲間もできなかったでしょう。
異なるコミュニティに属する人々がひとつのチームとなり、これからのまちづくりや地域課題を解決する担い手になる。「メディアづくり」は世代、人種、職業など異なるバックグラウンドを持つ人々をつなぐ「手段」になりうるのです。
『ローカルメディアのつくりかた』で取材した人々の話を聞いていて気づいたのは、「アウトプットの出来栄えより、つくるプロセスがいかに豊かだったか」のほうが重要だ、ということでした。
アウトプットのかたちを決める前に、まず「メディアのかたち」を考えるワークショップ(寄り合い)を開催してほしいと思います。もしかしたら、1年や2年では成果が出ないかもしれない。でも、何百万円もかけて、誰が読むかもわからないフリーペーパーやウェブマガジンをつくるより、異なる立場にある人々が集まり、地域課題に向き合うプロセスを大事にしたほうが、ゆくゆくは地域にとって価値あるメディアを生み出せるでしょう。
こうしたワークショップの手法は一例にすぎませんが、「EDIT LOCAL」では、実際に全国各地でメディアづくりを行う人々へのインタビューや、”編集”をキーワードに様々なアプローチを試みている人々のコラムを紹介していきます。全国各地どこでも通用するメソッドを見つけるのは難しいですが、もしかしたら、地域で何か新しいことをしたい、地域をなんとかしたい、という想いを抱いている人々の一助になる個別具体的なメソッドが見つかるかもしれません。ぜひ、今後とも「EDIT LOCAL」にご注目いただけたら嬉しいです。